2020/09/19(土) 練習

UP CH 300m

K IM 50m x 4 (1’15), result: ’03, ’14, ’00, ’12
Easy 100m (result: 1’50)

K IM 50m x 4 (1’10), result: ’01, ’08, ’58, ’12
Easy 100m (result: 1’40)

S IM(Fly→Fr) 100m x 10 (2’00), result: ’45, ’47, ’40 – ’42 even, last ’38

Down 100m + Walking 100m

Total 2100m, Weight 78.40kg

練習の頻度と日時設定について、2ヶ月の様子をみながら、月・水・土 の夕刻をベースとする事でいいかなと思っている。2日連続は避けて、他の事へ注力する時間集中の確保と疲労回復、と両立させる形が良いだろう。

特に土曜日の夕刻 17:00 – 19:00 頃は、娘たちのスイミングの送迎任務が終わった後から夕食までの約2時間が、じっくりと取り組める最適なタイミングであり、プールも比較的空いている時間帯の様だ。

・・・ということで、気合が入っているのか!と思いつつ、実はメニューの組み立てを考えるのが悩ましくて(というか面倒で(爆))、同じ内容の繰り返しにも飽きて来ているので、行ってきまーす、というまでの腰が重かったりした。

結局は、行ってアップをしながら考え、1本目の感触を確かめてからインターバルのサイクルを設定してたりする、動的判断・・・。

それが結果として、この日はピッタリ来た。

難しい表現をしているが、要するに最初のキック練は、50の4本を2セット、セット間レスト無しで足休めのためにイージーを挟んでいる、ということ。
心肺は、ずっとインターバルトレーニングの一環を維持しながら、合法的にツービートで足を抜いている形。

2セット目でサイクルを変える事は考えていなかったんだけど、やっていく内にテンションも調子も上がってくるので、その状況に連動させる動的なメニュー設定は、未だ練ることの出来ない静的なメニュー持ち込みよりも、今の自分には合っているのだろう。

1セット目のバックキックは、死ぬほど辛かった。
先日の「400m、バタ足できました!」の、あの調子に乗った感じは、早々に撤回。やっぱ、無理。四方八方から「脚」をいじめないと、どうしても一面的な使い方で楽の仕方を覚えてしまっている。

個人メドレーの練習をするメリットは、その全身の多面性、使わない筋肉を減らし、働き掛け、その使い方も変えること。そのフィードバックが、各々の泳ぎの再考にも繋がってくる。

この日は、そのキック練からの流れで、スイムを100m10本組んだ個人メドレー(バタフライ→クロールへ置き換え)の中での、「背泳ぎ」に、テキメン効いた!

背泳ぎのキックが打てないのは、キックの練習がそもそも少ないからだ。
当然ながら。

キックの練習をしてみて「キックが辛い」などと言っていたら、スイムで足が使われない泳ぎになるのは至極当然だ。
そんな状態で、「背泳ぎは、ちょっと苦手なんだよね」とか言い続けてきた自分が恥ずかしい。練習をした上での「苦手」ではなく、それ以前なのだ。

そんな事が、48歳になろうとしている、今の今になっても気付きとして得られるのだから、水泳においても「四十にして惑わず」といった感慨にふけっている場合ではない。出来ないことには、真摯に、初心で臨み直すことだ。それだけ。

・・・といった前置きはよくて、結論は、


背泳ぎのスイムで、しっかりキックを打ってみると、異次元だった

というゾーンに、初めて入ったのだった。(滝汗)

1個メ練(100m個人メドレーの練習)の3本目から、カクンと5秒くらいラップが上がったのも、これが一部。

キックは打てば打つほど身体に馴染んで慣れてくる段階に入っているので、あの、太もも表側のパンパンなだるさと言ったら、というのも気にならなくなってくる。

手のかきのタイミングにより、「タタタン、・・・、タタタン・・・」とリズムに空きがあって偏りがちであったビートを、「タタタ、タタタ、タタタ、」とシックスビートの基本に据え直してみると、グイグイ進む、進む・・・。

下半身の安定が、重心の安定とストリームラインの維持の源であることは確かで、クロールではその事を十分に感じてきていたのだが、当然ながら、背泳ぎにとっても、基本的に同じことなのだろう、という実感を初めて得た瞬間だった。
遅すぎ。

帆掛け船が適度の風を受けてズンズン進むように、少し湾曲させた背中の肩から、水を切って進んで行くような感覚は新鮮だった。自ずと、悩みの「手のかきの遅さ」も、回転数を上げても違和感が無いように感じた。
副次的に、タッチターンの際の手の合わせも、対応に柔軟性が増した。

この感触を言葉で表現仕切るのは困難だが、そんな感じで、・・・

このメニューを組めた自分を、ちょっと褒めてあげたい。

限り有る時間。
一石◯鳥は、何鳥でも狙えるに越したことはない。
でも、意図して狙うにも限界があるので、その「可能性」を拡げる意識として、メニュー作りにもチャレンジングでありたい。

何も考えずに、ルーティーンをこなし、まず、身体を一度元通りにしてみる、という考え方がアリだと思ってきていて、飽きの概念に悩まされず、無意識に取り組める習慣に落とし込めれば良い、と考えて来た部分もあった。
しかし、それだけでは・・・、なのでは・・・。

何か、「ニューノーマル」の考え方と同じで、
「単に戻る」のではなく、
「戻る部分と、考え抜いて最適化する部分と、全く新しいことの部分と、それらの自分に良いバランスでの融合体になる」こと、
そんな考え方が、僕の「水泳」という中においても、あるんだということ、なのかな。

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