更紗書記・読書録
通読できなくても、未だ読んで無くてもお構いなし
手に取って何かしら感じそうなら、書ける所を書く
後に気付いた事も、随時追記する
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Feb. 2003
「行動してみることで人生は開ける」 加藤諦三著 PHP文庫
こんな事をしていて、俺の人生は不毛なのではないだろうか?でかい事をやって一旗あげなければ・・・。そんな焦燥に駆られる感じが漠然とする。あなたには無いですか?
こんな不安と言うかモヤモヤと言うか、誰かに話してもいいんだけれど、とりあえず独りで自分に向き合う為にも、こんな本に相手をしてもらうこともしばしば。
 
加藤諦三の言っている内容には、私は肯定的で、分かり易いと思っている。何となく感じてはいるものの、はっきり言われると「やはりそうか。」と思う部分も多い気がする。
本書では、一貫して「面白いから何かをやるのではなく、何かをやることによって、初めて面白くなるものである。」と繰り返し説いている。ニュアンスを変えて、しかし根本的にはこの内容を何度も繰り返されることにより、少しずつ明確なものとして心に響いてくる感じもする。  
まず理屈抜きで動くことだ。意味は後から付いてくる。
それが出来て、何かを面白く感じられるようになっていたら、自然と自分の行く方向も見えてくるだろう。そう考えよう。・・違った、考えるだけでなく、やってみよう・・・。
Oct. 2001
「タリバン」 アハメド・ラシッド著 坂井定雄他訳 講談社
(amazon.co.jpが「これどう?」と取り上げいるものも、積極的につまみ食いしてみる。)
タリバンって本当はどんな集団? これから。
「大人のための勉強法 パワーアップ編」 和田秀樹著 PHP新書
(セットで続本も手元に置く事にした。)
「大人のための勉強法」 和田秀樹著 PHP新書
バチンと何か眼が合って、手にとってしまった。この手の本は無数にある訳だが、これはどんなアプローチを提供してくれるかな? まだこれから。
「ファーストフードが世界を食いつくす」 エリック・シュローサー著 楡井浩一訳 草思社
もはや企業としての問題に収まらない。私達が牛を食べる為に、牛がどれだけのものを費やしているのか、そういう問題はよく耳にするが、ではどうすれば良いのだろう?まだ途中だけど、何か示されているのかな?
Sep. 2001
「大河の一滴」 五木寛之著 幻冬舎文庫
映画「大河の一滴」と照らし合わせて読んでおきたい。
「人生の目的」 五木寛之著 幻冬舎文庫
ただ生きているだけで素晴らしい。それは負の方向を向かざるを得ない状況でもそれを受け入れてじっと生きる事らしい。仏教的な思想が根底かも知れないが、この人の論は、これまでに僕が見たことの無いアプローチで試みられている。発想の転換が上手く行かないので、もう少しじっくり読む必要あり。「大河の一滴」を先に読む方が良い。
「すず」 千葉すず他著 新潮社
天才スイマー「千葉すず」の全て。否、人間「千葉すず」の全て。「練習するから速く泳げるんです。練習せずに速くなれるなら、サボりますよ。」「歩いた距離より、泳いだ距離の方が長いですね。」彼女に対する偏見は、少なくとも氷解すると思う。マスコミュニケーションのあり方について、その一面を厳しく批判している内容は直視すべきだと思う。
「新聞・テレビはどこまで病んでいるか」 稲垣武著 小学館文庫
(未読)
「フェルマーの最終定理」 サイモン・シン著 青木薫訳 新潮社
この定理の歴史と人間模様。数学者に対する偏見も払拭できるかも。最初からその分野の様子というか生態を垣間見られて興味深い。かなりお勧め。まだ途中。
「形而上学入門」 マルティン・ハイデガー著 川原栄峰訳 平凡社
数ページ読んで意識が遠のくのを感じた。文体のせいか?否、もう少しやさしい所から行こうよ。
「現象学入門」 竹田青嗣著 日本放送出版協会
フッサールの考え方を平易に教えてくれる入門書。まだ途中だけど、文量も適当で読みやすい。
「不思議の国のアリス」 L・キャロル著 矢川澄子訳 新潮文庫
(未読)
「妻と私・幼年時代」 江藤淳著 文春文庫
2年前、江藤順が自決した時、毎日新聞の一面にその遺書が公開された。これがショッキングでどうにも・・。この気持ちはどこかに書いたかも知れないが。ただ、巻末にある石原慎太郎の追悼の言葉が重かった。この人は告別式でもそうであったように、江藤淳の自殺を受け入れている。肯定しているというのは過言だろうが、無念の中に「認める」所を感じる。小説では無い一つの愛の形について、また読み返してみよう。
「読むことは生きること」 柳田邦男著 新潮社
エッセイ集。柳田邦男の実生活での経験を短編で紡いでいる。まだ途中。
「なまけ者のさとり方」 タデウス・ゴラス著 山川紘矢他訳 地湧社
宗教的では無いにしろ、ある種の抽象概念をもとに、ダメな自分でもその存在を認められるようになる考え方。まだ途中。
「歴史教科書問題 何が問題か」 小森陽一他著 岩波書店
(未読)
「「歴史・公民」全教科書を検証する」 三浦朱門著 小学館文庫
三浦朱門は問題の教科書について全面的な「肯定派」である。あくまで「学習指導要領」で何が求められているかという視点を崩さず、それに沿って教科書がきちんと役目を果たしているかを評価している。教科書はその概要と一般認識を正しく伝える為のモノであり、一部の学説や考え方を主張する為のモノでは無いとの警鐘が一番心に残る。この視点から行くと扶桑社の教科書はこれまでに無く指導要領に沿う「まともな」教科書に落ち着くという事である。これは扶桑社の教科書がどのような問題を抱えているか、ということを検証するというよりは、既存の教科書にどれだけ問題が埋もれているかを叩く解説だと思う。他の教科書のそうした一面が何故問題にならないのか不思議といえば不思議だ。
「市販本 新しい歴史教科書」 西尾幹二他著 扶桑社
検定の前から問題視されていた教科書であるが、こうして市販されて皆が考えることが出来るのは良いと思う。その広報の方法などで「商魂丸出し」との批判があるにせよ、結果として市場が求めているのだから。情報公開の方法は次に考えれば良い。しさえしなかった今までがおかしい。
ということで本書だが、ハッキリ言って素人には開いてみたからと言って何がどうなのか分かる筈も無い。賛否両論の意見本を仕入れてその解説に沿う事とする。
Jun. 2001
「小論文の書き方」 猪瀬直樹著 文春新書
朝日新聞の3面に広告されていたのに目がとまった。猪瀬直樹は先日NHKで太宰治の足跡を追っていた番組が記憶に新しい。この人の「ピカレスク 太宰治」は昨日も富士書店で見たが今度買おう。
小論文について「新聞の文章を絶対に真似てはならない」意味を示し、自己がどう取り組むのかについて示されている。序論でその凝縮した説明のあった後は、自らが綴って来た小論文、つまりコラムを厳選して一挙に並べてある。物事をどういう視点で捉え、どう記述していくかの実践を見せている。個人的には、小論文の書き方というよりは、疎かった時事それ自体が興味深いという段階だが・・・。
webサイトにどういう文章を書くかの参考にしたいと思ったのが、実はきっかけだったのだが、やはり全く違ったものも頂いた。
「自分を知るための哲学入門」 竹田青嗣著 筑摩書房
哲学者ではない筆者が自らの経験をもとに記している入門書。自分で自分を知るための一つの「技術」であるという位置付けを、分かりやすく説明してくれる。フッサールの現象学に興味が向く。
「我輩は猫である」 夏目漱石著 新潮文庫
恥は散々かいているので最早ここに至って「ままよ」という感じだが、私は未だに漱石をほんの一部しかかじっていない。この有名な最初の小説さえ手付かずで30年を過ぎようかという所まで来てしまった。情けねー。字が小さくて分厚いが、確かに面白いので何とかなりそう。下の国語辞典とペアで持ち歩き・・。
「ポケットプログレッシブ国語辞典」 小学館辞書編集部編 小学館
読んだ本という訳ではないが、気に入ったので書く。・・電子辞書というかザウルスなどPADが最早時流というべきであろうが、私は1700円でポケット辞書を購入した。常々携帯用に国語辞典が無いと不便だと思い続けて来た訳だが、小さくて軽くて約7万語収録のこの辞典は十分用が足りるものだった。他社からも無論同様のものは出ている訳だが、私が見た内ではこれが一番見やすかった。
「西洋哲学史」 岩崎武雄著 有斐閣
再訂版第四十二刷の超定番と思しき史書。哲学史とは何かについて書かれた序論から面白かったので、読み進められそうだ。しかし用語辞典が必要だ。今度買ってこよ。
「なぜ人を殺してはいけないのか?」 永井均×小泉義之著 洋泉社
二人の著者が対談形式で話を進めていく。前提条件として哲学的な思考が無いと、言っている意味合いを汲み取るのが難しい。今の私には言い回しが非常に複雑に思え、明快な回答は得られそうに無い。
「なぜ人を殺してはいけないのか」 小浜逸郎著 洋泉社
何故その問いに詰まるのか?よりよい問い方があるのではないか?という考え方についての考察を繰り返す。お題を含め、10の問いを見て行く。重い。
「読書のすすめ 第6集」 岩波文庫編集部編 岩波書店
非売品ながら、各著名人の読書にまつわるエピソードは面白い。
May, 2001
「立花隆のすべて」 文藝春秋編 文藝春秋
普通、立花さんが取材をして本が出来上がるが、これは様々な人々が様々な切り口で立花さんにインタビューを試みている。非常に面白い。特に秘書の佐々木千賀子さんの弁は、最も傍で接している人としての言葉として興味深い。
「僕はこんな本を読んできた」 立花隆著 文藝春秋
秘書選抜の記録は印象に深い。とにかくこの人の「論」は痛快だ。
「Mother Nature's Talk」 立花隆著 新潮文庫
暫く立花さんで過ごそうと思う。何かしらを拠り所とし、そこから根を生やすのも一つの方法だろう。特に私のように自己を確立していない人間にとっては。
この本では立花隆と自然科学者との対談が対話形式でまとめられている。新潮社93年発刊で内容的には10年程前にさかのぼるものだと思うが、ここで示される命題はおよそ普遍的なものであり、無論現在においても抱えている問題に相違ない。「自分が何故そうしているのか」ということを突き詰めていく事について、様々な「学問分野」とは同じ命題に対する個々人の方法論の違いでしかないように思えてくる。立花はそういう様々な立場の人たちの仲介者であり、総じて代弁する「語り部」なのだと思う。
「ひとり暮らし 得 マニュアル」 池田武史他著 王様文庫
私は2年間の大学院生活を独り暮らししたが、生活は3年目が仮にあったとしたならば破綻していた様な暮らし振りであった。衣食住全ての面において、自己管理能力の欠如があった。・・今となっては後の祭りだが、もし機会があるとすれば次回は何とか成功させたいという思いで、未だに歯ぎしりしているのだ。直面している問題ではないのに、雑学的にこの表題に引かれてしまった。内容は殆どが「頭では分かっているよ。」ということだが、一歩突っ込んでそれを具体的にどう実践すれば良いかが示されている部分は良かった。
「チーズはどこへ消えた?」 スペンサー・ジョンソン著 門田美鈴訳 扶桑社
私は矢張りヘムなのか。動いていないからそうなのだろう。政治家の先生方は新しいチーズを探しているのかな?
自分が一番「むむう・・」なのは「古いチーズに早く見切りをつければ、それだけ早く新しいチーズがみつかる」、それから「まだ新しいチーズがみつかっていなくても、そのチーズを楽しんでいる自分を想像すればそれが実現する」の2点かなあ。がんばろ。
「ぼくが読んだ面白い本・ダメな本 そしてぼくの大量読書術・驚異の速読術」 立花隆 文藝春秋
その日プールへ自転車で行った帰り、小回りが利くせいでふと本屋さんへ入ってしまったのだが、新刊で立花さんの名前が目に入ってしまった。この人については恥ずかしながらテレビで示される幅広い見識の持ち主程度でしか知らないのであるが、それを裏付ける証がこの本にあると直感した。1714円+税と一歩引くハードカバーだが、言うに及ばず安い買い物に決まっている。
「私の読書日記」の章に至るまでの序章で、私は感服してしまった。当たり前のことであるが、経験と実践に基づく断言は説得力を持ち、抽象的な概念は一切無い。ただ読書及び本に対する考え方が明確に示されている。
巻末に加えられた「『「捨てる!」技術』を一刀両断する」は、痛快だ。
February, 2001
「死ぬ瞬間 死とその過程について」 E.キューブラー.ロス 鈴木晶 訳 中公文庫
たまたま本屋さんで新刊として並んでいたものだった。お題が強烈なので、とりあえずどんなものなのか確認しようという気になった。この本では「死」ついて科学的な解釈やアプローチを試みようというものではなく、瀕死患者を一人の人間として見直し、彼らと会話し、自分自身も死を正面から受け止められるようになることへの挑戦の記録という感じだ。死の迫った末期患者へのインタビューは、これまでタブー視され避けられ続けていた真実への取り組みだと思う。
まだ途中なので、それから・・。
「おきらくミセスの主婦くらぶー」 けらえいこ・ハヤセクニコ 講談社文庫
漫画「セキララ結婚生活」「たたかうお嫁さま」で一世を風靡した、けらえいこのエッセイ。ハヤセクニコとの対話形式で主婦の性質について語っている。勿論漫画イラストがふんだん。家庭の悲喜こもごもをこの人に語らせると、何故こんなに面白いのだろうか。まずは親近感なのかな。「普通に幸せ」を醸し出しているのが、やっぱり心地良いのかも。男性でもそんな感想だから、女性だったら尚更であろうか。
「グッド・バイ」 太宰治 新潮文庫
16編の短編集。太宰、未完の絶筆「グッド・バイ」が最後。まだ最初の2編を読んでいる所だ。
「薄明」は、最後に娘の眼が回復するが、戦火に焼け落ちたものが彼女の眼に最初に映った。彼女はただただ微笑していた、という描写である。僕はこれをどう受け止めるのか、悩んでいる。考えなくてもいい事かも知れないが、気になって。
Janualy, 2001
「愛しい女たちへ」 北方謙三 集英社文庫
北方が率直な気持ちを話したものが文字になっている。この中には「ん?どこかで見たことのあるぞ。」というものもあった(これ前に読んだ?)。「一生に本当に惚れる女なんて2、3人」とか「自殺する前に本50冊読んでみろ。それから考え直しても遅く無い。」という内容だ。某雑誌の人生相談でも書いていたものかと思うが、再確認した感じだ。
様々なお題に関するこの人の考え方(すべて経験を通した自身の実証)に全て賛成では無いが、「考え方」を考える事が出来る。
しかし、僕はこういう男じゃないな。「これが男というものだ。」と言われても、「俺は違う。」と言いたい。場面によっては、自分は余程女性的だとさえ思えて来る。女性も、当然ではあるのだが、これは独りの男の証言であって、世の絶対では無いことの承知を。
「斜陽」 太宰治 角川文庫
遺書の様な文章だ。皆涙を沢山流す。苦しくもがく描写ばかりだ。
直治の遺書に背筋が凍った。
「津軽」 太宰治 新潮文庫
陰鬱な著者のイメージをひととき忘れるような、友人を熱く想う部分と身内とのピクニックの様子に、この人の一面を見た感じがした。文章が読み易く、名作とはこんなものなのか、と浅はかながら納得してみた。単なる旅行記のように最初は感じていたのだが、微笑ましくさえある著者の思いと、その自分史に他ならなかった。最後に育ての母に再会を果たした部分は、ぐっと来た。
「BATTLE ROYALE」 高見広春 太田出版
午前4時だ。丸1日半も要して何とか読み終えた。ぶっ続けで読んで発狂しそうだった。 映画で上映される時の騒動?に乗じて、どちらかというと野次馬的な気持ちで居たのだが、この休み時間を使用して問題振りを体験してみる事にした。佐久間が確か「事前に読んでおいた方が・・」という旨を言っていたので、取り敢えず原作から着手した。結論は「映画で観なくてもいい。」 残殺シーン、また現在の社会問題からしてあまりにも酷な状況設定という事で、表面的に非難されている部分があるかと思う。しかし原作を読む限り、他の推理小説やハードボイルドよりその人数が多いだけで、わざわざ視覚化しない限りその範疇のような気がした。それよりか平易な表現が主張を明確に直接的に訴えるような感じで分かり易いと思った。 自分対「何か」、それは社会であったりある組織であったり友人でったり恋人であったり、そのような「関係」について再認識すれば、という感じなのだろうか。言葉で表現すると薄っぺらいな。要するに十把一絡げ「問題意識」だよな、きっと。知らず知らずに麻痺してしまっている、否、視界にすら入っていない、そんな事々への。
「豊臣秀長(上巻)」 堺屋太一 PHP研究所
秀吉の成功を陰で大きく支えていたのが秀長である事は周知の事実だが、この人に関する詳細な記録はほとんど無いという。堺屋太一が数少ない史料からこの人の実像に迫ろうとしている。良く知られた史実に就いてこの人の果たした役割を考え、今の僕達に無い部分を見る。
また、下巻を読んでから。
December, 2000
「こんな私が看護婦してる」 宮子あずさ 集英社文庫
メールでよく話している由実さんの言う事を少しでも実感する為に、看護婦さんの書いたエッセイを読んでみる事にした。 しかし、この書は看護婦を語る宮子さんと言うよりは、宮子さん自身の表現だった。考えてみれば当たり前だけど。看護婦であり妻であり作家であり講演者であり学生であったこの人のバイタリティーとは一体何なのだろう。何が突き動かすのかというのは最早愚問で、それが宮子さんであるだけの事のようだ。こんな超人は世の中沢山潜んでいるに違い無いが、改めて披露されると参ってしまう。 「自分はフツーの人間であり、出来る範囲で自分の特性を出して行けばいい。」という概要に、悩んだ末に降ろせる肩の荷を感じた。僕は多分、悩みの途中段階で、自分なりのこの結論を得られていない状態だろう。 結論、「生きてるぞ!」って感じでしょうか。「生きてるか!?」と聞かれたようです。
「万能川柳名作凝縮編(上巻・下巻)」 仲畑貴志編 毎日新聞社
私が毎日新聞を愛読する大きな理由は、将棋の名人戦(A級順位戦)が掲載されるからであるが、「万能川柳」が占める部分もかなり大きい。週に何度も微笑み、唸って、そしてホッとさせられるからだ。 その9年間に生まれた名作をギュッと絞り込んだ本が先日お目見えし、この週末に手にした。・・一年に一度は読み返し、またどう感じるか・・。 「人間は笑えるんだよやってみな」(和歌山 伊藤幸子)
Nobember, 2000
(忙しさにかまけて・・)
October, 2000
「つれづれノート2」 銀色夏生 角川文庫
「つれづれノート」の続編。恋人のむーちゃんと結婚して、生活の変化から銀色夏生の視点も少し多角化した感じ。
やたらと食べ物の話が多過ぎ!と思ったら、良く考えたらこの人は妊婦さんだった。(笑)
新しい家、あーぼう、友人との交流、別荘の検討などなど、内向的に感じられる著者は、実はアクティブに動き回っていてハッとする。そして感じた事が主観的に明確に書かれていて面白い。
「詭弁倫理学」 野崎昭弘 中公新書
大学の般教「哲学」の中で紹介された本。これも久しく本棚で眠っていた。
強弁・詭弁とは何かについて、一般的な見識を得られた。
議論でどう他人を論破し自分の意見を通すか、ということが主題では無く、様々な論術がどのような意味を持つのか分かりやすく説明してあった。
三段論法の「媒概念曖昧の虚偽」という種の詭弁で、
1. 女房よりいいものは「ない」。
2.「ない」よりは10円玉の方がいい。
3. ゆえに、女房よりは10円玉の方がいい。
という例が笑えた。
論理のパズルは頭の体操のなるが、ちょっと自分はダメだなあ、とがっかりした。 「鏡に映った人の、上下は逆にならないのに左右が逆になるのはなぜか」という問題は、難し過ぎて説明を読んでもついて行けなかった。
September, 2000
「つれづれノート」 銀色夏生 角川文庫
大学院生の時分に友人から「君は銀色夏生が好きそうだね。」と言われて古本屋で初めて手にした銀色夏生の本。久方振りに読み返してみた。
今でこそインターネットで無数の人々の日記を読む事が出来るが、この「つれづれノート」はある種「公開日記」の原点的存在なのかも知れない。
中には銀色夏生の日常がぎっしり、しかし空気か水のような感じのするものが書かれている。言えば矢張り「まったり」かなあ。食べ物の話がとにかく多い。これは女の子らしさを感じる反面、日常がホントにそういうゆったりとした流れである事を感じた。またこの「つれづれノート」では夢についても多く話している。内面的なものと向き合う面が強い。日記であるから当然か。
懐かしさの込み上げる時代背景も重なって、ほのぼのモードだ。
「弔鐘はるかなり」 北方謙三 集英社文庫
男性雑誌"Hot Dog Express"で人生相談「試みの地平線」を続けている北方謙三の処女作。実は雑誌ばかりに目を通し、本質である小説の方をひとつもかじらずに現在に至っており、一念発起。
だいたい「ハードボイルド」が何であるかも知らない私に、いきなりこれは少々酷な感じもした。特に暴力・拷問の描写が凄過ぎて気分が悪くなりそうだった。北方謙三が独特なのかどうか知らないが、煙草、拳銃、車と実際の固有名詞で書かれていることで更に話が客観化・具体化し、くっきりと輪郭が浮かぶ気がした。
内容は、主人公の梶礼次郎の執拗な復讐が徹底的に示されていて、どうにもならない諦めと悲哀の感情に襲われた。
「島左近」 佐竹申伍 PHP文庫
大河ドラマ「葵 徳川三代」にはまってしまい、特に群雄割拠の戦国時代に熱いものを感じた私は、手始めに島左近を選んだ。
佐竹申伍は左近に対して「やはり人生において一つ大きな花火をぶち上げてみたい」という闘将像を強調しているが、これに共感する。
また、非力で反感ばかり買う中でも夢を持ち続けて散って行く石田三成が、実は非常に興味深く、これに従う豪の島左近との好対照が絶妙。
永遠のテーマ「男気」とは何かを考える上で非常に参考となる。
今度は、石田光成の視点から更に言及した左近像を読みたい。

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