Dec. 30 沈黙

22日の、あきらの結婚式以来、今日30日の夜で、実に5回目の宴会をこなす事となる。
29日の送別会から帰って午前3時。4時間後の汽車に乗って、大阪〜浜松だ。
・・体調も崩し気味だが、何とか無事に楽しみたい。
 
Dec. 28 憂鬱

仕事に関して、今年中と定めた目標にまだ達していない。
すごい、憂鬱。
ではまた。
 
Dec. 26 祝30周年

午前3時、太陽の周りを回り続けて30年経った。
いやー、凄いことだ。
 
今日はささやかなお祝いとして、状況を省みず全日有給休暇を取得した。
昨夜会社に随分長く滞在してしまった為、14時まで寝倒してしまったが、ま、気にしない。
 
その他のご褒美としては、
▼17インチの液晶ディスプレイ購入
      とりあえずノートPCにでも引っ付く。
▼ファンスキー購入決定
      今シーズンは挑戦。これからショップへ見に行く。
▼部屋掃除
      昨年末保留にしたものを掘り返したら、株の配当金が、未換金・・。
▼ラストタイムトライアル
      これからプールへ行くが、本年最後の記録会である。
▼友人と飲み
      今夜は(も)、男の話で爆走。
 
モスにも行こうと思っていたのだが、さすがに胃袋は1つなのでまた今度。
 
そうね、この一年の目標は、心穏やかに過ごす事。いらいらしないように。
その為にどうするかは、思う所を試行錯誤して行きます。
 

↑しかし、ちょっと淋しい、こんな心境。
 
Dec. 24 ささやかな幸せ

今日は、栗巣舛慰撫(・・すごい変換してくるなあ。採用(笑))であった。
不況の世の中、それでも明るく華やかなお祭り気分になって、良い事なのではないだろうか。
残念ながら私は個人的に特別な予定は無く、仕事に勤しんでいたのだが、そんな私にもささやかな幸せは、幾つか・・。
 
☆☆吉牛の半熟玉子
夕刻にこっそり会社を抜けて、吉牛へ行った。
私の定番メニューは「並つゆだく+みそ汁」なのだが、メリクリで、これに半熟玉子を加えて頼んでみた。初体験であった。
うん、ささやかな幸せを、まさにかみしめた。
 
☆☆清水コーチの鬼メニュー
以下の通りである。
 

 
実は先日の忘年会での議論で、「種目別にコースを分けて練習をしたい。」という要望を行なった。
これが先週の木曜日から試行されて、本日もこの通りである。
今日はプライベートに忙しいメンバーが多いのか、このメニューに取り組んだのは独りで、一コースを貸し切った状態だった。
・・・しかし、きつかった。この程度で、「死」を感じるほど弱っているのである。
・・ちなみにメニュー最後の8本は、実際には6本であった。
しかし、別に「M」ではないのだが、鍛えられるのは悪くない。押忍!
 
☆☆手作りケーキ
練習後、平野さん(お姉さん。好きなんだけど、既婚。)が、ケーキを焼いきて下さっていて、ご馳走になってしまった。
ビターなチョコケーキに、目頭が熱くなってしまった。おいしい・・。
救われた・・・。
 
☆☆LET’S GET CRAZY
PrincessPrincess の「M」をカバーしているのがラジオから流れていた。誰かな?
で、もう、「LET'S GET CRAZY」を思い出してしまって、上の写真に写し込んでしまっている通り、引っ張り出して聴きながらのタイピングである。
とにかく、14年の歳月を通り越して、燦然と輝く名アルバムである(と信じて疑わない)。
 
・・大好きなものに、こうして浸っている時間は、幸せだ。
 
Dec. 23 あきらの結婚式


 
良い式、披露宴であった。その一言に尽きる。
 

 
私は、物心ついてから初めて結婚式(キリスト教式)に参列した。
神父さんの、「病める時も、良い時も、悪い時も、・・、愛し敬うことを誓いますか。」を、ナマで聴くと、身につまされる思いがした。これに「はい。」と答えるのは、半端な人間には出来ない業だと実感した。
「アーメン。」が心臓を刺すかのように、ずっしりと低く重く響いた。実際、神父さんの力のこもった声であった。信者でもなんでもないのだが、圧倒的な形式美というか、厳粛さというか、事の重大さというか、信念の塊というか、そういうものに接するという事であって、自分自身にそれを受け留めるだけの覚悟も無ければならないという事である。
不幸にも「自分が同じ立場に立ったならば」という事が少しだが考えられるようになって来たようで、他人事、無関心、では済まされない自分の心というモノが存在する。この度も軽い衝撃となってしまった。
 
衝撃と言えば、嫁さんが滅茶苦茶べっぴんさんやったなあ。ええなあ。というか、絵になるなあ。
こっちまで嬉しくて仕様が無くなってしまう。(苦笑)
 
・・あきらの紹介は、構想1週間・実働2晩で作成したPPT資料をプロジェクタで投影し、OBのみんなで協力して発表して、無難に済ませることが出来た。
友人の一人として、最低限の友情を捧げることが出来たであろうか。
 
あきらは、今の風潮からすれば、古式ゆかしい披露宴に臨んだ。
親戚一同が会し、会社社長・重役も列席した。
しかし、プロの司会者の職人技と言うか、閉式近くのアドリブであったであろう、席を回ってのお祖母さんからコメントをもらう場面で、「幸せに・・・」と、小さな声であるのだが、それを本当に願う悟りが開けたかのような優しい言葉に、もう感極まってしまった。
最後の新郎挨拶でも、あきらと一緒で、泣いてしまった。・・う、今書いていても目頭が熱くなってしまうよ・・。
「良いもの」というのは、「どのような形式であれ、良いものに変わりは無いものだ。」と思った。
全てを経験して、自分が最も良いと感じるものを選択する、という方法は当然無理なのだが、よく比較検討もしないで頭ごなしに「それは古い。」などと固定観念が出来てしまっていた自分が、少し恥ずかしくなってしまった。
本当に、中身が大切なのだ。
 
とにかく、おめでとさん。
自分の周りに、幸せな人間が増えて、本当に嬉しい。
 
Dec. 23 マニアへのいざない

自分の予定(2002/12〜)を公開する。ここ
これで何となく、中原が暇なのか、臨死体験しているのか、把握することが出来る。
つまり、このサイトが未更新であろう日(逆にネタが補充されていそうな日、通り越して、読者が「それネタ」を強要したいと思う日)が、予め連想されるような事も意図している。

(※注:襲撃等、計画的犯行には使用しない事。(大笑))  
ちなみに、行動を伴わないイベントであったり、気になったことのメモをしているかも知れない。
内容は時間まで書かないし、「重い/軽い」も明確にしない。もちろん極秘情報はアップしない。その辺りは常識の範囲で・・・。
 
陰の「すいみんGOO!!」マニアへ、少しでもお役に立てば・・・。(笑)
 
Dec. 22 あきらの結婚式

今日だ。参加してきます。
 
Dec. 19 週末の顛末3

うだうだ話している間に、次の週末が来てしまった。(苦笑)
 
■お決まりの飲酒
 
自暴自棄も中途半端ではいけない。・・などと言っていると本当にポックリ逝ってしまいそうだが。
50mの自由形を、28秒84の、まずまずのタイムで泳ぎ終えた後、無性に「泡の立つ麦茶」が欲しくなって仕様が無くなった。ジャスコまで、自転車で数分。思い立ったが吉日(何が?)、2缶手にしてプールへ舞い戻った。
 
「くはーーーっ!」たまらん。
思わず、ぐっない!、と叫んでしまいそうな勢いである。
・・・これから100m泳いだら、どうなるんだろう。
 
■100m平泳ぎ
 
それから小一時間たったら、召集の時間となった。
私たちは、観覧席の最上部の床に毛布を敷いて陣取っていた。少し横になって、もう意識はほとんど無いような感じだった。
重い腰を上げて、プールサイドへと向った。
 
と、先生(女性)がいらっしゃった。私が小学生の頃から泳ぎを教えてくれた恩師の一人だ。
「こうさくは、いくつになった?」「もう今年で30ですよ。」「結婚は?」痛・・。「まだですよ(笑顔)」「私もずっと独りよ。」「やべ、うつる。」
先生も、私が10かそこらの時に20代後半であった筈だから、もう良いお年だ。
「ま、醜態さらしますが、見てて下さい。」
 
今年は参加者が少なく、国体選手である高校生の横で泳がせてもらえる。有り難い事だが、今の私には、過ぎたるは何とやらで、ちょっと活かせ切れないのが残念。
飛び込んで、20mに差し掛かったところで、すでに隣の頭が斜め前に見えた。あ、これは勝負にはならん。
50mで5m差がついた。速過ぎる。
70mで、8mくらいの差か、そこまでで、私のあごが上がった。あとは、自分の苦痛をかみしめる時間のみだ。
ばてた・・。
 
記録は、1分15秒57。少しは引っ張ってもらったこともあって、昨年から2秒落ち程度で済んでいる。総合的に考えて、今の状況にしては、充分な結果だった。
・・・眠い。・・・眠い。レース後に何を感じるかという質問に、眠い、と答えるのはこれが初めてだった。
 
■帰宅
 
着替えて、そのまま帰宅した。まだチームのみんなのレースも残っていたのだが、もう耐えられなくて帰った。
 
■その後はどうしたか・・・
 
この話も、もうそろそろ区切りとしよう。切りが無い。
結局、帰宅後も辰吉の試合が気になって寝付けず、そのまま打ち上げ兼忘年会へと行くことになってしまった。
ついに24時間を越えてしまった。
 
1次会、2次会カラオケ、3次会でもしゃべり続け・・・。私は、細々と、そして生き続けた。最後まで。
再び帰宅して、午前2時。・・よく、やり通した。本当に、私は宴会が心から好きなのだという事を実感した。
つらい仕事も、苦しいレースも、全ては・・・
 
再度、「全ては、旨いビールの為に。」 乾杯。
 
Dec. 18 その人の、一番いいとき

恥ずかしながら年だけは重ねて来てしまっているので、たまには両親と人生(結婚が主だが)について話をする事もある。
その中で、私に強い印象を与えた、母の言葉があった。
 
「その人の、一番いいとき、というのがあるからねえ。」
 
これは非常に微妙で複雑な表現だと思ったが、客観的に、ストレートに的を射ている気もしてならなかった。
 
・・何をもって「いい」というのか、その価値基準は多岐に渡ると思うが、そういう観点ではなく、もしかしたらこれも矢張り「タイミング」を意味しているのでは、と考えるようになった。
チャンスに乗じる、という意味からも、その勢いに乗って一気にとまでは行かないまでも、上昇気流に乗れるような感じなのだろう。それを逸してしまったとしたなら、乗り損ねの、立ち往生の、最悪ジリ貧なのかも知れない。そういう公算が高まるのかも知れない。バイオリズムと同じようにかどうか知らないけれど、こう、山や谷間のある生活の中で、自分が乗れる良い波に「乗る」という事なのだろうか。いいときが「ある」という事は。
 
顔にはしわが入るし、髪は薄くなるし、腹も出てくる。無論、そうした表面的な事も指すだろう。
まだまだこれから内面を磨いて、人間的に充実してくるのはこれからだ、とは言っても、引き換えに失っていくものの多さを考えると、それは脳細胞の、次第に死滅する量が生成量を上回って行くが如くの議論、と悲観もしたくなる。
 
兎にも角にも、「機運高まる!」というような興奮があるように、何とか地道に頑張るより無い。
・・そう考えると、「一番いいとき」など、水泳の記録が頭打ちで伸びないように、もう二度と越えることの出来ないものなのかも知れないのだが。
 
Dec. 17 先週末の顛末2

■出社
 
土曜は暗くなっていた。18時30分。重い腰を上げてシャトル君に乗り込む。
会社でまた「お、また遅い出勤だねえ。」と、先輩からチクリと言われないかとビクついている。・・だったら早く出社しろ、俺。
 
19時頃から取り掛かる。
嗚呼、頭の中には何を書けばいいのか、構想はハッキリしている。
どう整理して、まとめるかだ。・・・普段日記を書いているから、文書作成には別段抵抗は無い。というか、好きな部類かも知れない。無論、「仕様書」という物は、こんな私的ないい加減なものではない事は承知している。ただ、怖く無いのが救いなのだ。
 
現実逃避の症状は、三大欲求の一つに、原始的に表出する。
 
今の私は「食」だ。「あっち」じゃなくて良かった。体力がもたない。
まず22時に、徒歩2分のセイコマートへ散歩がてら徘徊する。ひとしきり立ち読みして、カップめんとお茶を手に、城へ戻る。食す。食後のうぇぶ。・・・作業再開・・・。
 
2度目は、翌午前3時頃。もう、吉牛に走る。何故かこの時間帯は学生を中心に盛り上がっている。・・私もそうだったなあ。しかし、誰が徹夜の仕事の苦しみを癒すオアシスとしてここに訪れているという事を、知る由があろう。みな気楽な表情に見え、被害妄想に渦巻かれる・・。くそー、つゆだく、早く出せぇー!
虚しい満腹感を抱えて、再び城へ戻る。
 
■鳥取県室内選手権へのカウントダウン
 
今日の朝は、8時に県営屋内プールへ集合である。
もう、軽く数時間後の話ではないか。
それでも、5時には一旦帰って、シャワーでも浴びて心身ともにスッキリして(出来ればちょっと寝て)から出向こうと模索していたが、何がどうして、書けちゃいない。
 
6時ごろから先輩と話し込む。立場も状況も違えど、徹夜で苦しんでいるのはお互い様だ。
「もうすぐ試合なんっすよ。」「まじ?よくやるよ(呆れ)。」「・・唯一の息抜きなんで・・。」
そんな話も間に挟まる。
 
7時になった。帰って、準備して、自転車で出向いてぴったり8時の逆算。
ノートPCを閉じて、かばんへ押し込む。
・・・そう、1日でレースは2本、正味「2分」。通常なら、後の時間は「待ちと談笑」だ。
内職で少しは進むはず。
 
結局、11時間程度の作業量で、目標を達っせなかった、だらしの無い私であった。
 
■徹夜で挑む、まさにデスマッチ
 
土曜は夕刻に起きたと言っても、体内時計はキッカリ12時間ずれて、丸一日の仕事をこなした末路である。ボロボロだ。
こんな状況で、わざわざ寿命を縮める行為に及ぼうとしている。
自分でもアホか、と思うが、やりたいのだから仕様が無い。
 
鳥取県の毎年12月中旬に開催される室内選手権は、短水路で唯一、中3以上が無差別で競う大会である。マスターズにとっては、若い力に挑める数少ない機会なのだ。
しかも年の締めくくりのレースとなる。
そして夜に控えた、恒例の「打ち上げ兼忘年会」の為に、これをもって喉を乾かすのである。
全ては、旨いビールの為に・・・。
 
 
(うう、眠くなった・・・。また明日。)
 
Dec. 16 先週末の顛末

ちょっと大変だった。うだうだと回想。暇な方は付き合って・・。
 
■不幸の始まり
 
上司の出張の期間と、自分の納品物件に関する手続きとのリンクが形成されておらず、金曜の午後になって軽いパニックが生じた。
 
パニックの原因となった要素は、以下の3点。
1.上司は納品日まで帰ってこない。
2.納品のドキュメントは、まだ私の中に妊娠中で全く形になっていない。
3.上司は来週月曜日は、夕方まで鳥取におられる。
 
その心は、どん、月曜までに仕上げて、その夕刻までにレビュー(読み合わせを行い、合格を頂く)を実施しなければならなくなった  ということだ。
計算高い悪知恵が働き、上記「3.」を想定していなかった相談前の思考は、「仕方ないので、遠隔で回覧レビューとさせて下さい。(無論、本来はあるまじき行為)」つまり、月曜までになど仕上げる必要は無いように持って行く寸法・・。 が、「月曜は時間が取れるから、やってしまおう。」「・・・。はい。」で、逝った。
しかし不幸中の幸いで、問題のドキュメントは私の頭の中で7、8ヶ月程度まで育っていたので、戦意喪失は免れた。ただし物理的な作業時間は、どう考えても寝ずに作業するよりどうにもならないものだった。
 
■土曜日の誤算(いつもどおり、とも言う)
 
その金曜の夜は、出来る限り力尽きるまでやる手段に出た。
大体、早く切り上げて、能率良く次の朝から全開で総攻撃するという、勇気ある行動など取れない人間である。気になって、まず寝付くことの出来ない程の小心者である。
しかし、いつの日も後悔だけがやってくる。
 
午前4時頃、もうダメだと帰宅して、そして一息つこうとしたのが誤りだった。
んなこと言っても、歪は、ひずみで解消されるものなのだから、運命だ。
テレビを点けると、工藤夕貴がラスベガスのマジックショーを紹介している。頬がゆるみ、口を半開きで「なんでそうなるのかなあ、あははあ・・。」と、確実に幽体離脱の様相を呈してしまった。
 
そして、順序立てて次の作業(うぇぶ)をやり終えて時計を見て倒れそうになった。朝の8時を回っているではないか・・・。
 
■土曜は終わる
 
午後1時前後だったと記憶している。寝ながら応えた。
母:「出掛けてくるから、お昼食べときなさいよ。1時間半くらいかかるから。」
私:「・・うむう・・。戻ってくる頃には、もう会社に行ってるから。」
 
次に何故か母の声が聞こえる。
母:「夕食できたよ。食べなさ−い。」
私:「・・・。おはよう。」
 
18時に「夕食」と名の付く「あさごはん」を頂く私である。頭の中を説明すると、まずデビル「8時に寝たから、18時まで寝ていても10時間睡眠。普通の休日は12時間は寝るんだから、早く切り上げられた部類ではないか。えらいよ、ぼくちん。」そして天使「おまえ、そもそも寝ずにやらんと片付かんもん、抱えとるんとちゃうんか?あん?」
 
 
 
(うう、ねむくなった・・。また明日。つづく。)
 
Dec. 12 市への質問

確か一月半位前に市に出した質問に対して、本日回答が届いた。
これまであちこちに質問や意見を述べてきたが、きちんとした回答が得られたのは今回が初めてである。

肝心の質問事項だが、文章はフォームでの送信にて、手元に残していなかった。
家の近くを流れる天神川の護岸工事に対する質問で、要旨は、
1.鯉や蛙が生息しているが、コンクリート固めにするとその環境が失われる。
2.工事自体の必要性に対する疑問
であった。

以下、頂いた本文そのままを掲載する。
個人としては、これは全く回答になっていないので、執拗に再質問の予定である。
その理由は、以下の2点。
1.上流にダムが建設されて以来、少なくともここ20年で洪水など起きたことが無い(氾濫、民家への浸水など)。
2.税金の使い方からも、直面している優先度の高い問題が他にあるのではないのか(そちらに使って欲しい。予算が少ないのに多忙な他課がサービス残業を余儀無くされている実態から、せめてその職員への残業代に充てた方がよほど良い。予算の縦割り問題という根源に行き着いてしまうか)。

---

X-Map-MIXER-Originators: false
To:
From: "市民参画課"
Date: 12 Dec 2002 09:52:00 +0900
Subject: 天神川の護岸工事についてEnvelope-ID: JA8AAAAAAAUpTAABYQABDAQAAfxU@city.tottori.tottori.jp
X-Mailer: TeamWARE Connector for MIME


 中原 耕作  様



 市政提案箱にメールありがとうございます。お尋ねのことについて鳥取県県土整備局河川砂防課へご意見を伝えましたところ、次のような回答がありましたのでお伝えします。


1.天神川護岸工事の目的について
 この工事は洪水時でも十分に川に水が流れるような川幅及び水深を確保できるように、河川改修を行うものです。


2.護岸の構造について
 市街地の河川改修であり、両側に人家が連担しているため、河川用地確保に制約があります。  このため、限られた河川用地内において、川幅の確保、強固な護岸構造に整備するために、幅広になる土堤ではなくコンクリートブロック積を採用したものです。



 今後とも市政に関してお気づきの点がございましたらご意見をくださいますようお願いします。




             平成14年12月12日



              鳥取市長 竹 内   功



*********************************************
市政に関するご意見・ご要望はこちらへ
 〒680-8571
鳥取市尚徳町116番地
鳥取市企画部市民参画課広聴係
Tel : 0857-20-3158 Fax : 0857-20-3053
Mail : sankaku@city.tottori.tottori.jp
URL : http://www.city.tottori.tottori.jp/
*********************************************

 
Dec. 11 特に無し

考え事は多いが、どれも表現しようと衝動に駆られるほどのものではない。
 
友人の結婚式(12/22)で友人代表のスピーチを行なうが、アドバイスをもらって、PowerPointにて作成のプレゼン資料をプロジェクタで投影する形式で行なうこととなった。これなら思い出の写真を入れたりして視覚的に楽しむことも出来るし、普段使っている道具だから発表もしやすい。
一石二鳥だ。
ただ、準備が・・・。構想練って、平日の夜中にちょこちょこ作りこんで・・・。
 
そうだね、こういう作業をしていると気が紛れて、あえて表現に走らなくても済んでいるようだ。
 
Dec. 10 どっかり

昨日の東京も凄かったようだが、今日は鳥取でも一日中降り続けていた。
10cmとかいう予報は不幸にも外れ、もう30cmは積もってしまった。
 
・・・私の車、スタッドレスが昨シーズンで3シーズンになった為、そのまま交換せずに履き潰しにして今日に至っている。換えなきゃなあ、とか思いつつ、怠け心の期待が以外にもその通りになってびっくりしている。つまり、履き潰しのそのタイヤが、何とか雪の上を走ってくれるのだ。
おそるおそるブレーキを踏んでみても、あのラジアルでの恐怖体験はよみがえらなかった。ハンドルを切ってもそっちへ行く。とりあえず、しのいだ・・・。
でも、翌朝は、もう使用に耐えないだろうな。県道は何とでもなる。ただ、細い道をブレずに走り通す勇気が無い。・・歩き覚悟で早起き・・。
 
Dec. 10 今日の練習

取り急ぎ、こちらへメモ。
 
UP 100m
S1 SKPS 200m×2(3’30)
S1 S(Dec)50m×6(1’30)
S1 S 100m×1(1’30)
S1 S 50m×1(0’50)
S1 S 25m×1
フリーリレー
DOWN  100m
TOTAL 1100m

 
Dec. 10 昨日の練習

UP 100m
Fr P 100m×3(2’10)
Br K 100m×3
Br S 50m×2
DOWN  100m
TOTAL 900m

 
Dec. 08 特になし

日曜日は休んだ。
先週末金曜日の、会社のグループの忘年会で飲み過ぎ、土曜は16時まで意識不明。日曜も惰眠を積み重ね、14時行動開始。
公私共に今月は「枝」が多く、更なる集中力が必要なのだが・・・。

 
Dec. 08 07日の練習

最近、覚悟して練習に取り組んでいる。
いつまで軽めのメニューに甘んじていても、泥沼から這い上がることは困難なので、厳しいメニューに身を投じるより仕方がない。
この日のメニューは、振り返ってみると1700m逝っていた。

 
最後の100m4本は平泳ぎでやったが、もう全身に力が入らなくて、もがくにももがけない状況だった。完全にガス欠状態のような感じだった。上手く言えないが、どう泳いでいいのかすら分からない、軽いパニックとショックに襲われてしまう。こうなると戦意喪失で、何も身体が機能しないのだ。  
ぼろぼろになりながらでも、少しずつ、取り戻したい。
 
Dec. 08 棒茄子

先週末に棒茄子を頂いた。
・・・上期は悶絶の日々だっただけに、考課における自己評価が過去最悪なのは致し方なかった。
内容に比べて、残業代も取り過ぎた。
・・・で、落ち込みも相当覚悟していた。(総支給額も相対的に、やはり落ちてきているし。)
が、予想よりは良かったので、巨人の桑田とは雲泥の差だが、本音、何だかホッとした。
額=評価点だから。
 
Dec. 03 東京にて・・

アップルで催されるブリーフィングに参加する為、新宿へ来ている。
実は午後3時から始まるので、羽田に着いた10時半からは少し時間があった。
秋葉へ行こうか、神田をうろつくか、少し頭をそんな考えがよぎったが、すぐに消え去った。
新宿へ直行しよう。
 
SHUN/KAN
JR新宿駅ビル「MYCITY」のレストラン街が新装開店への道を歩んでいる事を、テレビで放映されて知ったのが一ヶ月くらい前のことだっただろうか。人は無数に居ながら、その人たちを地上何メートルか持ち上げ、ご飯を食べてもらうことにどれだけ腐心したかが描かれていた。乱立を極め飽和状態の中、他の新しいビルと差別化を図り、魅力あるものにするにはどうするのか。壁は廃物を貼り付けた芸術が構成し、店の仕切りはガラスで中が透けて見え、開放的な印象を与える。そしてそのビルの中身は全く別物に生まれ変わったという。
その「SHUN/KAN」と名付けられたレストラン街へ、行ってみたかった。
 

 
新宿駅周辺をぐるっと歩いて、そしてJRの口にたどり着いた。
これがその駅ビルか?やはり建物は元々の色調もあってか灰色にくすんでおり、面した通りも特に広い訳ではないので、その裏側の人通りからすれば閑散としたものだった。
 
入り口すぐのエレベータで7階へと向かう。エレベータの扉の脇には冊子が用意してあり、レストラン街の各店の紹介が綴られていた。
エレベータを降りた。うん、別世界だった。
 

 

 

 
木材、プラスチック片、PC関連、電化製品、布、あらゆる廃材が形を変えて息づいていた。
異様なのだが、静かで、何より綺麗だった。
下の看板は、7階から8階へ上がる階段の踊り場のものだ。
人通りが決して多くない階段に、これも静でありながら圧倒的な存在感があり、綺麗だった。
 

 
8階はガラリと様子が変わって、更に落ち着いた大人の空間であった。
特に、この青色の光に包まれた一画は、自分がどこに居るのか、錯覚してしまいそうな雰囲気だった。
 

 

 
ただ赴いて、そこを歩くだけでもだいぶ満足してしまった。
食事の実際については、また次の機会にしよう・・・。
 
(つづく)

 
Dec. 02, 2002 雑多な日
月末処理、出張後処理、忘年会の幹事、本業、明日から東京に出向く為の準備、・・・やることが多岐に渡って、ちょっと辛い感じだった。
どれも大して緊急度も無く、慌てるようなものではないのだが、こう、聖徳太子モード?に向かない人間なもので・・・。
ということで、明日の夜は、寝台特急から時間を贅沢に使って書き込もう・・・。
 
Dec. 01, 2002 帰鳥
昨夜、19時半頃に鳥取へ帰還した。
まさに、長く、短い一週間であった。
さすがに今回はもう帰りたいなということで、土曜日の朝、10時半までホテルで寝つぶした後は、そそくさと帰路へついた訳である。
 
鳥取に降り立って、やはり暖かいな、と感じた。
向こうは、飲んでも震え上がるような冷たさであったから、それに比べれば、コートを脱いでセーターが一番上でも用が足りる感じであった。
 
帰宅するなり水着を手にしてプールへ向った。
何しろ、食べて飲む日々で、いい加減、しっかり身体を動かさなければ、という危機感にも襲われていた。
かるくリハビリモードで泳ぎ終え、その足で会社へ。
月末の事務的な処理をこなし、出張報告を提出して、24時。
帰宅して、そしてゆっくりと食事した。久方振りの魚が旨かった・・・。
 
今日、日曜日は、気を抜いて、一日静養した。
せっかくだから、何か映画でも観に行けばいいかなとも思ったが、もう無気力で、昼寝したり、PCの設定を少々いじり、新しいMeadowを入れてみたりして、のんびり過ごした。
 
Dec. 01, 2002 久方振りの献血
北見での、先週金曜日の出来事である。
何と、出張先の会社に出勤すると、献血車が訪れたではないか。その前夜の酒の席で話題にはなっていたのだが、まさか朝一発目から血を抜くとは思ってもみなかった。てっきり昼休憩とか利用するのかと・・・。
 
ということで、私は何をしに来ているのだろうと自問自答しながら、欲求に負けて看護婦さんの前でヘラヘラしていた始末である。
 
実は約1年振りの献血である。忙しさにかまけて、なかなか出向けなかった。
さて、北海道でのシステムは・・・。
何と、手帳が電子化されている。というか、カードになっている。
よく店のレジにあるような、薄いカードを通してポイントが表示されるようなカードが一枚手渡された。
他の人に見せてもらったのは、確かこれに加えてもう一枚、キャッシュカードのような厚めのカードが献血手帳の図柄であったようだが、これは後日郵送されてくるのだろうか。
受付のお兄さんの話によると、この電子化は北海道で試行されていて、これで行くか、これまでの手帳で行くのか、1年やってみて結論を出すのだという。ま、時流から言えば、カード化は至極自然の成り行きではあるよな。
 
さて、それより何より、今回最も驚いた事は・・・。
「中原さん、手帳にある献血回数は172回になってますが、調べてみましたら173回されてますよ。今回で、174回ですね。」
「は?」
私は、過去の献血後、ジュースなんぞ口にしながらしみじみ手帳を眺めていた時間を思い返した。
いくらなんでも、その時にハンコが押されていない事に気が付かないはずが無い。
ハンコは、一応、自己満足の象徴でもあったのだから。
・・・まったく思い当たる節が無い。というか、記入漏れがあれば、その次回にやった時点で判明するはずである。では、約1年前の前回に抜け?それは無い。
 
いずれにしても、次回鳥取の血液センターに出向いた時に、尋問だ。
・・いや、それにしても、今回の出来事はいいネタになるなあ。・・ウフ。

mail