Sep. 30, 2002 そして追憶
名古屋で泳いできた。
レースをしたことの無い人には分からないだろうが、「いいプールだあ。」というのがある。
少なくとも名古屋のレインボープールは国際大会が開かれても恥ずかしくないプールで、当然鳥取には無い高品質なプールだ。
年に一回は、ほんと、こんな機会は欲しいものだ。
 
そして、会いに来てくれた、ゆうちゃん、るんさん、さくま、有り難う。
るんさんは、来年からこのレインボーカップに参加されるようなので、必ず年に一回会えますね!
しかし高校まで水泳部で活躍されていたとは存じ上げませんでした。私なぞ、中学で終わってますから、マスターズで復帰されれば、そっこう蘇るものがあるはず・・・。というか、相変わらずの体型が羨ましい限り。(笑)
・・というか、さくま、ぜんぜん懐かしくない。それ以前に、ぜんぜん変わってねー。
ゆうちゃんも会いに来てくれているので、とうぜんながら、というか、また11月にさいちぇん。
みんな元気で、ビールが美味しかったので言うこと無し。
 
・・最終日の100m平泳ぎは撃沈しました。
100mをレースで泳ぐという事がどういう事なのかを、実感したとしか言えませんなあ。
少なくとも、練習していないと泳げません。
(不思議なことに、50mはね、何とか泳げるんです。これが。)
・・もう他人の尻を見て泳ぎたくない、というのが、次回へのモチベーションでしょう。
(これはね、中学の時に体験した像も脳裏へ染み付いて・・何故、他人の尻は印象に深いんだろう・・。)
 
ういー。戦績ぃ。
男子30〜34歳 50m平泳ぎ 33秒60(7位)
男子30〜34歳 100m平泳ぎ 1分19秒98(11位)
 
これがね、6位に入らないと、面白くないんだよね。
そうならないと、マスターズのファイナリスト(最終組)、そして国体要員への飛躍は無いんだよね。
おじさんの情熱は、まだまだ注ぎようがあります。はい。
 
Sep. 27, 2002 今年のその日
今朝、否、昼に起きて洗面所に向う途中に気が付いた。
「あ、モクセイの香りだ。」
今年のその日は今日やって来た。うん。何となく嬉しい。
 
「今年のその日」シリーズ、僕の場合は、
・今年初めてアンタレスを見た日
・今年初めて木犀の香りを感じた時
・今年初めてシリウスを見た日
この三つくらいだろうか。
ささやかに季節感を感じる訳だが、季節外れの星を「日常」で見てしまった日(年)は、苦笑いだ。
 
Sep. 27, 2002 北の国から<独り言> 8ページの知床完結まで収録完了
更新中
 
【レインボーカップで名古屋へおじゃま】
これから名古屋へ向けて出発します。
今回のおじゃまで、ゆうちゃん、さくま、そして何と「るんさん」に会える予定。
めちゃくちゃ楽しみ。
中原と水泳、この因果関係を初体感するのかな? ふふ。
 
Sep. 24, 2002 北の国から<独り言>
更新中
 
Sep. 24, 2002 予告
今夜は一部、集中更新の予定。
秋の夜長を楽しむ方は、数時間後にご再訪の程・・。

 
Sep. 22, 2002 離北
波乱万丈の北の国生活、というのは至極大げさではあるが、仕事を完結させ、丸2日間は思うがままに車を転がしたこの一週間は、今まで久しく感じたことの無かった「めりはり」と「充実感」をもたらすものだった。
「ひとりでお買い物」ではないが、ホテルに連続して5泊もしたのは初めて、それ以前に独りで出張に出て身の回りを全てやり繰りしたのも初めて。この年になっても初々しく経験を重ねなければならない事よ。
しかし釧路空港から飛び立つ時には、何か「ああ、去るんだな。」と淋しかった。
これまでの不透明感を脱し、これからは「明確に」次の目標が出来ている訳で、さて・・。
 
あ、東横インにネットで予約したら「くつした」をもらえた。今夜。
もう発酵し切ったものしかなく、どうでも良くなっていたが、嬉しかった。
綺麗な足で、4時間後に帰鳥・・。(苦笑)
 
Sep. 15, 2002 離鳥
明日から一週間、出張で鳥取を離れる。
この一週間も二晩の徹夜を重ねて尽力したが、どうにも・・。
出先から更新する余裕は・・・。
泳がないし、ま、感じる所があれば・・。
 
Sep. 09, 2002 焦燥
つなわたり。
この言葉しか頭に浮かばない。
 
Sep. 08, 2002 逃避
仕事から帰ると、一心不乱にサイト作りを行なっている。
日曜日にかけては、意識する事無く徹夜してしまった。
これほど時を忘れて没頭できることも、最近は無いような・・。
しかし、こんなことをしていてよいのだろうか、否、だから現実逃避なのだ。
 
つーこって、マスターズチームのサイトを立ち上げようとしている昨今。
原案の作成は、まあ、こんなもんか、という所まで出来た。
・・あとは、展開だ。
みんなが参加できるサイトに・・。
 
Sep. 06, 2002 「星を頂いて帰る」
今日国語辞典を読んでいたら、何とも乙な表現に出会ったので記しておく。
 
いただく【頂く・戴く】の一番目には、「頭の上にのせる」「頭上高くに位置させる」という意味が記してある。
これは、「雪を頂いた山頂」とか表現が思い当たるが、岩波にも広辞苑にも例示してある「星を頂いて帰る」という表現に初めて接した。
この「星を頂いて帰る」は、日が落ちて遅くなって帰宅する、の意であり、普通であれば残業の厳しい折の不快感しか想起されないようにも思う。しかし、何とも穏やかな表現で響きも柔らかく、思わず許したくなってしまう。
 
・・ま、星が見えているうちに帰りましょ(結局それか・・)。
 
Sep. 03, 2002 今日の練習
ウォーミングアップ 50m
自由形 キック 25m×12(0’40)
自由形 プル 100m×3(2’15)
個メ+平泳ぎ スイム 50m×8(1’05)
自由形 プル 50m×8(1’00)
計 1450m
 
約一ヶ月振りに、マスターズの練習に参加した。
ゆっくり泳いだが、身体がまだなれなくて辛かった。
・・さすがに眠い。やっぱり消耗するなあ。
 
Sep. 02, 2002 今日の練習
ウォーミングアップ 100m
自由形 プル 100m×3
自由形 キック 50m×2
平泳ぎ スイム 50m×1
自由形 プル 50m×1
ウォーキング 100m
計 700m
 
今月も仕事面で予断を許さない状況ながら、身体の方も同様にもうやばいので、割り切って時間を作り、運動することに決めた。
少しずつ慣らさないと逆効果なので、我慢してゆっくり泳ぐ。(気持ちほど身体は動いてくれない状態だが・・)
今月末、せっかく名古屋へ出向くので、少しでもいいから身体を水になじませておきたい。
 
Sep. 01, 2002 第15回鳥取県マスターズ夏季水泳競技大会
先刻書き記した通り、今日の大会には競技役員として参加した。
他の役員は選手掛け持ちでやっている人も多かったが、私は心身ともに競技に耐えられないので、裏方に徹した。
実際にやってみると色々と実感する訳で、その辺り中心にまとめたいと思う。
 
私は計時(ストップウォッチでタイムを計る)係を担当したが、それが(当然だが)その選手・チームの記録になることということで、ズシっと来るものを感じた。
無論、大会記録などが出れば、選手が「私の出した記録」であるのと同様に、「私の計時した記録」として残ることとなってしまう。手動計時では事実上、後に述べるように「記録は私の指先が握っている」のであり、小心者は責任を感じる次第だ。・・追って様子を振り返ろう。
 
@ 他の計時と合わない
どうしても0.2秒ずれる。
自分の担当コースに選手が居ない場合、隣のコースを補助計時していたが、その担当コースの役員と、どうしても約0.2秒、私のタイムが遅い。
これは特に訓練を積んでいる訳ではない人同士の個人差としか言いようが無いが、競った時の着順判定と食い違う可能性が非常に大きく、神経が磨り減る。実際、勝敗は明らかなのだが、計時は100分の1秒差というケースが3度もあった。逆転現象がなくて良かったが、悪く言えば、これはいい加減なタイム測定と言われても仕方の無い内容だ。(堂々としていろ、という主旨の檄が計時のボスから飛びました(笑))
ちなみのもう片方のコースの人とは、大体100分の数秒差(ぴったり賞も数回)で、少しほっとしたが・・。
 
A 自由形が難しい
どの種目のタイムを計るのが難しいって、クロールが極みだった。
第一に手の回転が速いので、押すタイミングが取りづらい。ほとんど「勢いがゴールする」と言っても過言ではないので、手がゴールするのを捉えること自体が困難な気がしてくる。
そして、ゴールすると思った手がいきなり後ろに引かれ、反対の手がゴールしてくる時の焦りは、尋常ではない。「えっ、ええ?」が、0.1秒くらい頭の中を駆け巡る・・・。
意外と背泳ぎが難しいかと思っていたが、相対的に動作が緩くなる分、余裕はあった。
 
B 所属チームと敵チームが競っている時の敵チームの計時
単純にイヤである。(笑)
公正・中立な役員ながら、気持ちは当然所属チームを応援している。
人間が出来ていないので、この気持ちがどう指先に影響を及ぼすものか、確信を持てない自分が居る。・・いや、ただゴールのタッチに合わせて、無心にボタンを押すだけっすけどね。(爆)
しくじらないように、そう、あとで因縁つけられないように。
頼むから、(どちらが勝ちでもいいから:本音)明らかな差がついてくれえ、と隣コースの計時係と顔を見合わせていた。彼の瞳も確かにそう訴えていた。(笑)
 
・・ということで、全レース、自分の担当コースに選手が居ない場合も補助計時を行なった。
午前から午後にかけて正味4時間といったところだったが、疲れたあ。
大会記録は全体で40を越え、記憶に残っている中でも、「これは速い!」と舌を巻いた選手も居た。当分破られないだろうな、という記録も計時させてもらった訳だ。
 
・・しかし、この競技役員、選手と掛け持ちは改めてしんどいものだろうと感じたな。
客観的に明らかに自分のレースの方が時間が短い訳で、集中しないままに終わってしまい、自分のレースが「ついで」になってしまう感じだ。
じっとイメージトレイニングして、気持ちを高めて台に上がることは極めて困難であろう。
 
そんな一方で、運営のボランティアも満ち足りてはおらず、そうした手作り的な要素で、皆で大会を造っていく感じなのかな。
もう選手としてエントリーしない大会は無い(ことを望む)が、依頼があれば、また協力して行きたい。この4年、自分もお世話になって来たんだからなあ。
 
つーこって、選手としての復活を誓った日でもあった。
私はこれから始動・シーズンオン、ということで。
 

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