2001/07/31付 現実拒否及び影響拒否症候群(旅行後遺症)

私の常であるが、旅行の後にはとてつもない虚無感に襲われる。それは見聞した事を上手く消化し切れないことに起因し、日常に於ける自己への反映へ結びつけることが出来ず、ギャップに苦しむに至るものである。
ストレス発散系の内容ならそれで完結するのであるが、眼から鱗であったり、大きな影響を受ける内容であった場合には後遺症となって苦しいのである。それを現実に結びつけることが出来ないという諦めと、前向きな姿勢に対する気力の欠如と、その自己嫌悪との悪循環が続く。
影響を受けたのに許容量を自ら設定し、結果として亡き物にしてしまうようなこの悶々とした気持ちは、どうにかならないのだろうか。

2001/07/27付 金メダルか失格か

男子4×100mメドレーリレーの決勝で、米国が引継ぎ違反の為失格となった。
米国のアービンと豪州のソープのアンカー勝負で壮絶なレースとなったが、現実はアンカーのスタート時点で勝負は決していた結果である。アービンはスタートが早過ぎた。金メダルへの可能性と失格は紙一重であると痛感した。勝負とはそうしたものなのだろうか。それが突き詰めた結果なのか。

2001/07/27付 世界新に立ち会う

今まで見てきたものは、何だったのだろうか?

2001/07/25付 ソープの独壇場

今日は早く帰らせてもらって、世界水泳をライブで観た。
しかし日本人選手の奮闘振りは、ほんと凄いと思う。傾向として、みんな物怖じせずベストを尽くしているし、日本記録が続出して結果にも表れている。地の利を活かして、とはいえ、見ていて楽しくなってくるなあ。
しかしイアン・ソープは何なんでしょう。通り越してます。はい。
・・いよいよ僕も明後日に現地入り!!

2001/07/25付 贅沢な一言

今日はお給料日だった。月日の流れること、この上なく速く感じ候。
先月末にお給料、今月初めに棒茄子と立て続けにご褒美を頂き、ほくほくで「取った狸の皮算用」を続けているうちに、気分的には棚から牡丹餅とでも言えそうな今日を迎える次第である。
自宅に置いてもらっている事に心から感謝します。ご両親様。良いこととは決して言えないけど、パラサイトシングル万歳!
さ、来るべき日に備え、今月のお給料も全額貯金だ。

2001/07/24付 みんなのホームページ

友人諸氏も各々ホームページを立ち上げて居る訳だが、最近参戦したメンバーも含め、主要メンバーが出揃ってきた感がある。うーん、負けてはおれん(何が・・?)。
ということで、急務はリンクの整備である。久しくさわっていないリンクのページを書き直そう。うん。
・・HPチェックの時間がすごくかかる・・。これも何とか良い方法を考えねば・・。

2001/07/23付 仕事にならず

昨夜はビアガーデンへ繰り出し、3時間どっぷり水泳談議に花を咲かせた。興奮冷めやらず、帰宅後も25時30分まで床に着かずにいてしまった。失策である。
習慣化で7時起きの8時には仕事開始。しかし3連休で完全にリセットされている頭は本当に真っ白であり、全身筋肉痛であり、寝不足であった。結局、丸一日、寝ていたようなものであった。
ごめんなさい。お客様。

2001/07/22付 <戦績>市民体育祭・水泳競技

鳥取県選手権を2週間後に控え、地域密着型の試合ながら個人の意識としての「前哨戦」であるこの大会、思うところはあった。
前回の大会(6/03倉吉スイミング)での指摘に従い、この約2ヶ月は「フォーム改善」を最重要課題として練習に取り組んで来た。練習での内容がレースで確実に反映されるか、それを確認する事こそが、本大会のポイントであった。
その他の点としては、大会記録の更新が目標となった。というかプログラムでそれを確認したところ、この1年で出した自己記録は全てそれらを上回っており、狙えることが判明したからであった。つまり、フォーム改善確認とは純粋には相容れない内容に「欲」が出た訳だが・・。
【50m 平泳ぎ】
フォームを正すことが目標である。スタートとターンの姿勢もその中に含まれる。大会記録は33秒3。今のコンディションでも、ベストを尽くせば破れない記録ではない。・・そんな筈であった。
「ピピー!」と笛は鳴った。位置に着いた。「・・」・・この点2つくらいの空白が、そこにはあった。
スタートには集中していた筈である。しかし周囲の小学生その他の雑音と「考え事」が頭を支配した瞬間だったのかも知れない。
僕には「用意!」が全く聞こえなかった。
次の瞬間、予期せず「パーン!」と乾いた音が響いた。この音にさえ芯の無い他人事の空砲にしか聞こえてはいなかったと言わざるを得ない。腰を上げてしまい、左を見ると人が飛び、水面に手が刺さる瞬間だった。僕はこの立ち尽くした状態からどうすべきかを考えた(0.2秒程度)。棒立ちの状態から飛び込みを敢行した。推定1.5秒のロスである。
恥ずかしさと後悔を胸に、力の入らないままに50mは終わってしまった。阿呆である。
・・周囲の人たちの反応はというと、「確かにスターターの声が聞こえにくい。」という感想もあったが、「わざとやったの?うーん、演出したがり!」というものまであり、「僕はネタ作りに来たんじゃないんだよー。」と悲しくなってしまった。
【100m 平泳ぎ】
50mが終わってから100mまでは4時間もの待ち時間がある。私は一時プールを後にすることとした。帰宅して世界水泳の録画の為のセットをし、ゆっくりと過ごした。
・・客観的に振り返って、失敗した50mから学んだ事もあった訳だが、今日の目標としていたことは何一つ満たされていない。おまけ的に考えていた100mに全てをぶつける、という闘志で燃え上がった。100mの大会記録は1分14秒8。フォームを崩さずきっちり泳ぎ切ることが出来れば、問題なく更新できる記録だ。
スタートはこれ以上無い集中で反応した。だいすけに「スタート後のひとかきひとけりは、良かったっすよ。」と言わしめた会心のスタートであった。25mのターンは水平的に無呼吸で回転し、ロスを最小限に押さえる工夫を試みる。ターン後の浮き上がりも水平方向に上手く上がることが出来た。50mのラップは33秒9であり、これはこれまでの100mのレースで最速の入りである。50m以降はバテてしまい、75mのターンは鈍ってしまった。ターン後ついに我慢出来ずあごが上がり、体を前に開いてしまい、ここで完全にフォームが崩れた。腕を開けず、脇が閉まらない。たどり着いて1分13秒35。とりあえず自己ベストで大会記録を更新した。
前半の50mはあごを引き、かきの終わりは脇を閉めてしっかり腕をたたみ、前へ突っ込むように伸びる、このフォームをかなり実現出来たようである。やや速いペースかと思う程度で34秒台を見込んだが、0.5秒程度UP出来たことになる。これだけでもかなり大きいのだ。後半の50mは40秒近くかかかったことになる。これが38秒で泳げるようになれば・・・。
【その他・総括】
本大会では多くの旧友と顔を合わせる事が出来た。特に十数年振りに清水昭生に合ったのは非常に懐かしかった。私の二つ下で東中の後輩である。当時はくりくりの丸坊主であったが、とても良い男になっていて嬉しかった。他の面々からも「中原先輩」という言葉が発せられるから、部長として率いていた水泳部の像が本当に懐かしく思い出される。時代も皆の容姿も変貌を遂げたが、プールでのこの空間はあの日のそのままなのであると、私は感じた。

2001/07/21付 今年の海水浴

今日は会社の有志が集って、海水浴へ行った。例年通り賀露である。
昨夜は結局5時半まで目が冴えてしまい、準備の為に起床せざるを得ない8時まで2時間少々の睡眠で乗り切らねばならないこととなった。ま、準備が今回の私の使命なので、何とかなるだろうと・・・。
9時前にツイン・ガリバーへ到着。朝、店が開くのに外で並んで待つ、・・待つなどという事をした記憶があるだろうか?!ここで大半の食料と飲み物・雑類を購入してジャスコへ向かう。10時前にジャスコへ到着。一日に2回も店の開店を並んで待つ、・・待つなどという事をした記憶があるだろうか。一日に二度の「開店待ち」・・生涯に於いて初めての出来事と断言す。バーベキュー網焼きセットでもやきそばが出来る「簡易プレート」なる新兵器を発見!!!即刻やきそばの材料を購入するに至る。
さて11時から炭への着火作業に取り掛かる。炭への着火へ手間取ると情けないので、早め早めだ。しかし着火材がことのほか頑張り、意気込みあえなく着火はすんなり終了した。そのうちバーベキューは始まった。・・・が、みんなテンション低すぎー。食がすすまねーんでやんの。・・大人の集まりとは、このようなものなのか!?・・結局うだうだだらだらと14時くらいまで足掛け3時間、食べるでもなく飲むでもなくで時間は過ぎていった。ああ、反省点としては「つねに炭は出来るだけ沢山火を点ける」、「材料は1500円/人程度で十分」。
そして皆は海へ散った。浮き輪を浮かべ、楽しげに水面を漂っている。私は岸辺で足先のみ海水へ浸し、それでも水温は30度も行かないであろう心地よい冷たさのみを十二分に満喫して過ごす。今回は女性陣が彼氏持参で楽しんでおり、私などは「バーベキューの兄さん」で十分であった。翌日に水泳の大会も控えており、気持ち的にも体力的にも、足先浴で十分に満たされる心地よさであった。周囲の楽しい雰囲気と言うか、会の雰囲気を感じるだけで、ほっと安心出来る心地良いひと時なのであった。
夕方19時に後片付けも終了し、一日がかりのイベントを終了した。私はどうやら裏方でいろいろ作業をしたり、様子を見たり、それで今後の企画はこうあるべきだと考察したりすることが楽しいようである。行事の楽しみ方として、完全なる幹事役は単に大変極まるものだと思うが、幹事の補佐役として立ち振る舞うのは、この上なくやりやすいものだと感じた。
家に帰り、砂をシャワーで落として、すぐにプールへと向かった。

2001/07/20付 シンクロ・デュエット、立花・武田組優勝!!

世界水泳で今夜はシンクロ・デュエットの決勝があった。
私は実はシンクロナイズドスイミングに全く疎いのだが、とにかく念願の金メダルが目前と言うことで、テレビにかじりついた。
井村コーチがシドニーオリンピックの時分にテレビで語っていたが、あの「熱さ」は相当なものだ、と鮮明に記憶している。ということで、よく分からなくても「感じる」ことは出来ると思った。
数組の演技を見ているうちに、ああ、いいな、と思うところが出てきて、そして立花・武田組の一体感というものを感じることが出来たような気がした。目頭が熱くなった。

2001/07/20付 CD−RWドライブ購入

今更なのだが、買った。デジタルカメラと並んで、ずっと引っかかっているモノの一つだった。
思えば「窓達機」を買ってからCDのドライブ無しで半年近くも過ぎ去っている。無しで過ごせる使い方というのが客観的に言って凄いかな。特にIBMのThinkPadはIEなど主要なものを除きバンドルソフトはあらかじめインストールされてはおらず、CDで添付されるのみであり、従って外付けドライブが無ければ使用出来ないのである。・・・テキストとウェブ&メールの特化マシン・・・。
ところで、はっきり言って僕はいまいち何を選んで良いのか分からない。調べてみても実感出来ないし、何が違うのか理解出来ないのだ(傾向とかちょっとは分かるけど)。恥ずかしい・・。特にThinkPadのリカバリが可能か(しやすいか)など、初心者には難しくて・・・。ということで有識者から「何でそんなん買うのん?!」と言われそうで嫌なのだが・・。
最終的には店頭で「動けばこれでいいや。」と投げやりに選んでしまった。いいのだろうか、こんなんで。
Y電気には知り合いの女の子が店頭に居て、ホンとはイケナイことだけど社員価格でいつもお世話になっている。 m(_ _)m 今日もお世話になりました。 m(_ _)m 1萬7000円也。一応最低限JustLinkはついてます。
さて、生まれて初めて音楽CDをRに焼いてみた。説明書を読みつつ、ソフトのUIに少しうろうろするのみで、非常に簡単に1枚焼けた。ちょっと嬉しかった。
そして因縁のwebページ作成ソフト「ホームページビルダー」も遂にインストールしてしまった!!
このページの様子がもし変わったとしたら、「あ、使ったな・・。」と思って下さい。(笑)

2001/07/20付 初めての不在者投票

参院選選挙当日は福岡へ遠征する為、今日不在者投票へ行って来た。初体験であった。
市役所の第二庁舎に入ると「5階の会議室へ」とあり、エレベーターをご利用下さい、と分かり易い案内があった。会議室へ行ってみると、学生のアルバイトと思しき若者が約10人、壁を背に机に向かい、ずらりと並んでいた。かなりの壮観である。投票に来ている人が数人居た。ずらりと並んでいる説明員、お姉さんを選んび机を挟んで座る。投票の券を渡し、「それでは選挙の方法を説明します。」で始まった。
記入用紙に、氏名・住所・不在となる理由選択肢にチェック。そして二枚の投票用紙へ記入後は自分の名前を書いた封筒へ入れた後、更に大きい封筒へ入れて二重にするように説明される。「それでは後ろのボックスでお願いします。」
さて、いよいよこの時が来た。個人の投票について詳細に書くことはタブーのような気もするが、少し触れたい。今回はいわゆる「ねじれ構造」で全くどう考えてよいのか分からない選挙だと思う。しかし何か着手しなければ「ジリ貧」は必至であり、北条時輔ではないが「幕府だの朝廷だのその様な狭い話しではない」と考えたい。間違っているかも知れないが、何か「やる」ことが先決のように思う。従って今回初めて与党支持の傾向にならざるを得なかった。着手しそうだからである。選挙区は白票にした。理由は改革に本気で取り組みそうな人が居ない(と思う)からである。比例区は混迷の極みで消去法へ出た。非拘束名簿方式の利点を活かす為に、個人名を記すのは必須であると思う。政党名で記せば、その政党の枠を広げた結果、同党の気に入らない人に加担してしまう結果となる危険性がある。つまり票の横流れだ。よく分からなくなってしまった場合、政党名へ逃げるのではなく、横流れを防ぐ為に「気に入らない人以外の人の名を必ず書く」と決めた。こうすれば改革してくれそうな政党を支持しつつ、その党内で改革の足を引っ張る人が当選することに、微力な抵抗をすることが出来る。
不在者投票は全く面倒ではなく、至って分かり易いものだった。家族連れの姿まであった。時間も朝の8時30分から夜の8時まで開かれている。
後は天命を待つのみ。

2001/07/18付 先輩の甲斐性

他のグループの先輩の話だが、チームの後輩がダウンしてしまったそうだ。今日も彼女は早く帰ってしまったようなので心配している様子だった。そこで先輩の取った行動は、携帯で何気なく電話。仕事の方は大丈夫だから、しっかり休めよ、とアドバイス。そして「こうさくどん、行くぞ。」と買出しへ。予めリサーチした彼女の好物であるフルーツ類、あっさり所で冷やし中華のパック、デザート、お菓子をさくっと買って、自宅へ急行。玄関口で渡して会社へ戻った。
僕自身はどちらかというとクールな部類なので、他人の事情にあまり入り込まない性格である。その是非はともかく、先輩は温厚な性格をもってその様に気遣うスタイルであり、私はそのちょっとした行動にかなり考えさせられた。現実的な問題として仕事上のチームワークがよりスムーズに行く為に、という側面はあるにせよ、これはその様な狭い範囲のものではなく、「身近の仲間が大変だ」というだけの単純な意識である。
自然にこれくらいの甲斐性、いえば柔軟性を自分も持ちたいものだと感じた。

2001/07/17付 (作成中)広く浅く/狭く深く

物事への取り組みに関して、双璧を為す二つの態度があると思う。

2001/07/17付 最近のもの書き

思うには思うのだが、書きたいと思う程の強い衝動が今は無い。基本的に強いてのネタ探しもしないし、一般に記事になっていることについて、関心はあっても洞察に難いことに関しては取り上げる術も無い。特筆すべき事でも無い事を徒然に書き下すのもつまらない。
従って昨今、今ひとつ盛り上がりにかける。

2001/07/17付 今日の、しゃっきり早起き日記

朝7時に起きて7時45分から仕事を始める、そんな生活にも信じられないが慣れて来た。
今日でチャレンジから丸二週間が経過して、今後挫折があるとすれば、それはもう「仕事の都合」という外的要因しか考えられなくなった。
ここまでの実体験を通して言える事は、ただただ「人間らしく生きている気がする」という事である。お昼にお腹が減り、夕刻にお腹が減り、適度な運動の後にゆっくりと自分の時間を過ごし、夜更かしすることなく休む、当たり前のことが何一つ当たり前でなかったのだから今更ながらに信じられない。
習慣になった。次の目標を考えよう。

2001/07/15付 日曜日の過ごし方

午前3時まで「人生」についてお袋と議論していた為、今日の起床もお昼を回ってしまった。
午後からは買ってきた本を読みつつ、気持ち良くなってうたた寝しつつ、超まったりの時間を過ごした。
今日はラジオを聴かなかった。何となく気分ではなかったのだ。最後の30分だけ大相撲を楽しんで、再びうとうとしていた。
大河ドラマは佳境へまっしぐらであり、遂に時宗は時輔を打つ決断を下す。嗚呼、不幸かな。渡部篤郎が好演しているせいもあるが、個人的には時輔への感情移入が強い。器が大きく、芯がある。状況が異なれば間違いなく時宗をしのぐ執権である筈だ。・・不運としか言いようが無い。
・・引き続き民放で渡部篤郎が出ているドラマがあるが、それは遠慮して、チャンネルをそのままで参院選の討論会を見たが、ますます平民には良く分からん。
さて今週も早起きを頑張ろう。仕事は早く始めて午前中の効率をUP!フレックスの利点を活かすのだ。
おやすみー。

2001/07/14付 土曜日の過ごし方

金曜は夜更かしをして、土曜のお昼を回るまで惰眠を貪るのが通例である。
今週末もその例に漏れなかった。
金曜日の夜ともなれば、街へ繰り出して平日のウサも晴らしたいと思うのだが、少しでも仕事を片付けて気持ちの良い休みにしたいと考えるべきである。平日を越えて、休日の早起きまでは考えられないくらいに憔悴気味な私であり、ここはラストスパートをかけて深夜まで頑張って討死するのが潔いと言うものだ。そして深く長い眠りにつこう。

起きたもののうだるような蒸し暑さで、避暑に走りたい衝動に駆られた。とりあえず目薬やプロテインを買いたいと思っていたので、ドラッグストアへ行くことにした。
今日は時間的、というか気分的に余裕がある。いつもは時間に追われているような気がして1分でも無駄にせまい、そして体力を温存しようと車を利用するが、今日はそんな切迫感を感じることも無い。帽子をかぶり、サングラスをかけて自転車のキーを取った。
陽射しを上手く避ければどんなに暑くても、風を切っている間は何ともない。かえって涼しいものだ。思った通りに行く先へ続く道は車で渋滞していた。私はその脇を涼しい顔で通り過ぎる。約20分で着く。
用を足して、何はなくとも富士書店へ入った。
新刊コーナーには相変わらず扶桑社の「新しい歴史の教科書」が並んでいた。気にはなっていたものの横目に見るだけで居た訳だが、今日という今日は手にしてしまった。恥ずかしながら、何が問題なのか良く分かっていない。三浦朱門が書いている検証の文庫本と合わせて買った。
何故「今日という今日」なのかというと、昨日の韓国の「日本の大衆文化開放中断」(これは韓国内の政治的背景あるようだが)、そして今日の地方紙朝刊では「中学生交流を中止」という身近で現実的な影響が出始めて来たからだ。何がそこまで問題になっているのか?実状の認識から、実際の影響の問題を把握しないと・・。直感、こういう時期であるからこそ「中学生交流」は意義深くあるはずなのに、これはどういうことなのだろうか?
・・それから、話は全然変わるが、江藤淳の「妻と私・幼年時代」の文庫本が出た。早いもので彼が自殺してから2年が過ぎようとしている。当時は新聞の一面に遺書が公開され、NHKでも特集番組がされて印象に深い。「妻と私」は単行本を読もう読もうと思って月日は流れ去り、今日に至ってしまった。
帰ってプールへ行く準備を整え、再び自転車へ乗った。

2001/07/11付 アート・ガーファンクル来鳥!!

サイモン&ガーファンクルのアート・ガーファンクルのコンサートが、10月21日日曜日に県民文化会館で行われる。彼の来日ツアーの中に鳥取も入っていたのだ!ちょっとびっくり。今週末7月14日土曜日から先行予約が開始されるので、即行手配しようとウキウキしている。
彼らについての所感はここで詳細に述べないが、誰もがそうであるように、僕の青春の1ページにもその音はあった、というところだ。
・・ところでお袋の話によると、「コンサート会場の席の売れ方」について地方と中央とでは違いがあるそうだ。鳥取などでは一番良いとされる「S席」から売れていき、東京などではランクの下がる「A席」などから売れて行くというのだ。本当かな?本当だとしたら、東京などでは機会が多いから数をこなす方に、またはリピータの思考かな、とか思ってみた。鳥取などではそれこそ「一生にもう訪れない機会かも!」と迷わず「そんなのケチる所ではない!」と真顔で言いそうだ(笑)。

2001/07/11付 きょ、今日の、うう、早起き日記。

ついに一週間が過ぎ去った。週末は除外して、平日のこの5日間、7時起床、8時出社、20時までの退社を守り抜いた。かなりの快挙である。マジで。
しかし就寝時間はかなり追い詰められている。時間のやりくりは、果たしてまだまだ満足の行くところとはなっていないのであって、まとまった時間を欲する悪魔が目を覚ます真夜中、葛藤が続く毎日だ。ついに昨夜は手紙を綴るのに25時30分まで突っ走ってしまった。・・・従って、今日の午後は地獄の苦しみであった。心身はこの上なく安定している。これは言い換えれば「だるくはない」のであり、襲ってくるのは倦怠感ではなく、全く純粋な「睡魔」なのである。ふと油断すると、一瞬にして首が折れる。
・・ということで今夜は早く休みます。はい。

2001/07/10付 (作成中)「能ある鷹は爪を隠す」に関する考察

広辞苑第五版によると「本当に実力のあるものは、やたらにそれを現さないものだというたとえ」とある。
僕は常々、自分にも何か「能」はある筈で、それはなんだかよく分からないけれど、でしゃばり過ぎず居れば「能ある鷹は爪を隠す」という格好の良い状態になっている筈だ、などと屁理屈のような事をまじめに考えていた。
しかし時間が経つにつれて、このことわざの真意、というか、「能」とは何であるかとか、自分は本当はどう振舞うべきなのか、ということを考えざるを得なくなった。つまるところ、「能の無い鷹は隠さなくて良いものを間違えて隠している」ということになってはいないか、そして「能ある鷹は本当に爪を隠しているのか」という事を考察したいのである。

2001/07/09付 (作成中)

(嗚呼、時間切れ。掲示板チェックってやっぱり時間かかりますね。) 

2001/07/08付 (作成中)同期会

 

2001/07/07付 七夕に際して

通っているプールでも笹が用意されて、子供たちが思い思いに短冊へ願い事を書いてつるしていた。「中原さんも書いて下さいね。」と受付のお姉さんに言われて、一筆したためる事とした。
すでにつるしてある短冊には「はやく泳げるようになりますように!」とか明るい夢と目標がつづられているに違いない。
中原「うーん、叶いそうもないこと書いてもしょうがないよなあ。」
だいすけ「そんなことないっすよ、叶うかも知れないじゃないっすか!」
中原「・・そ、そうか?」
かなり真剣であった。
私は書いた。
『残業が減りますように。(-人-)』
・・ああ、重いよ、重すぎるよ。笹が耐えられないと思って、一番下の枝につるしました。はい。

2001/07/06付 女へ贈る

近くに可愛い女性が居たならば、男は贈り物をせずには居られない。動物的な本能であると思うが、しかしこれは大脳新皮質の命ずる行動であることもまた真実である。
この行為に関しては特に若かりし頃、多分に「下心」を持ち「その後」の自分の立場を築く足掛かりとする側面がある。別にヲヤジとて話は同じ訳であるが、その笑えるくらいの「一所懸命」の度合いは若さの為せる業であり、自分も幾度となく力の限りを尽くした記憶がある。
しかし少し落ち着き「何も求めるものなど無い(逆に求めてはならない)」のに贈りたい事もあるのだ。
複雑な心境は、普段お世話になっていて個人的にすごくお礼がしたい(と勝手に思っている)、しかし堅物なので軽くさらりと行動で示すことが難しい(ただの小心者だ)、何か贈るのは仰々しい、セクハラになる、彼氏の居る人への気遣い(自分の彼女もいい気はしないだろう)、などが主たるものだ。・・それでも何とか贈りたいというのは実際のところはただの自己満足であり、自分がそうしたいからするまでで、それが客観的に全く不都合が生じないように行われなければならないだけなのだ。つまり「特別」になってはならないだけだ。
ということで日常なら特別になってしまう贈るという行為も、非日常な場面であれば帳消しになる。僕はそこで相手の「誕生日」を利用する。この日だけは、非常に無難に相手へ何かを贈ることが出来るのだ。しかも一年に一回必ずやって来る。個人的な思いも含めながら、表面的には「重く特別な行為にならない」のである。後に残らない食べ物、女性なら大抵甘いものが好物であるので、お菓子系が無難と思う。値も張るものではないので、そのへんの気遣いをさせてしまう心配も無い。ケーキでは日持ちせずそれだけで相手への拘束と負担が生じる可能性があるので、乾物というか、クッキー又はチョコレートといったものが妥当かと思う。メーカーも種類も豊富でネタに困らない。
ということで、近くの可愛い女性の誕生日だけは絶対に忘れないように日々心掛けている。
(・・あれ?そういうオチだっけ?・・。)

2001/07/05付 Br 50m×10 (0'50)

今日の練習の最後のお題は「平泳ぎ50m10本を50秒サイクル」。これは死を覚悟すべきメニューである。幸い私用により開始に遅刻したので、皆より300m分くらいは余力を残して望むことが出来たのだが。
どれくらいえらいかというと、全力の8〜9割で泳ぎ、5秒の休憩を入れて、これを10本続けるのである。これまでの人生を振り返っても、平泳ぎで50秒で全て回るのは今日が初めてだったのだ、実は。
途中で50m泳ぎ切るのに50秒以上かかったら、そこでサイクルは崩壊して「脱落」となる。最後は死に物狂いで泳ぐことになる。しかし、その状況でもフォームを崩さず、大きく泳ぐことだけは、どんなに頭がフラッシュしようとも「言い聞かせる」のが僕の次へのステップなのだ。言い聞かせたよ、身体はその通り動かなくても、意識できるだけまずは進歩だ。
全て10本を45秒以内で泳ぎ切って、脱落せずに終わった。個人的には凄く大きな達成感を得た。精神的にも自信になる。

2001/07/05付 今日の早起き日記

♪あたーらしーい、あーさがきた!・・と歌いだしそうな気持ちの良さで今日も始まった。こんな小さな幸せこそが人生を豊かにするのだ。積み重ねることが大切だ。(・・これが俺の言葉とは・・(自爆&爆笑))
・・ということで、今日はお昼休みに新人諸氏10分の5(内輪ネタ)に私の近況をお知らせした訳である。予想通り、過去の私の有様から比較して、嘲笑が少なからず聞かれた。大方の「私の今後」予想は、明日金曜日が早起き3日目ということもあり、「週末に崩壊して、月曜日からダメだな。」だった。しかし関谷嬢の「いやー、月曜日は意地になるから、火曜日からダメでしょう。」には込み上げるものを感じた。「やってやろーじゃねーか、あーん?!」まったく、もっと太い導火線に火を着けてくれちゃったよ。あご外すなよ、俺はやる。

2001/07/04付 TikiTiki、エアーエッジ対応未定

現在お世話になっているプロバイダ「TikiTiki」に問い合わせたところ、以下の様に回答があった。
   (原文そのまま)
   あいにくではございますが、お問合わせの「AirH"」サービスに
   関しましては、現時点で対応予定は未定の状態です。
   ご要望として承り対応を検討させていただきます。
(/ToT)/(/ToT)/(/ToT)/(/ToT)/(/ToT)/
なじぇ〜〜〜〜?!

2001/07/04付 今日の早起き日記

早起き日記、うーん、なんて爽やかな響きなんだ!早くこれが似合う男にならねば・・。・・もさー。
・・ということで、今日の実績は1:00〜7:00の6時間睡眠で8:00出社。朝は本当に爽快だなあ。寝起きも良い。これは睡眠時間にはよらない何かだ。何回試みても、この感覚だけはいつも確かだ。
午前中が長ければ、集中して仕事が一つ片付いた。これは本当に効率が良い!
しかし帰ったらどうしても22時を回るくらいになるので、睡眠時間帯は0:00〜6:00ではなく一時間ずらした今日のパターンでしばらくやってみよう。
ああ、人生が明るくなって来たような。・・ちがうか・・。

2001/07/03付 挫折と挫折・生活改善

以下の雑記は読むに値しないと思う。・・ただ、記録しておく為に書くよ。
現在の一般的な生活時間帯を、セキララに振り返る。
03:00 就寝
09:45 起床(約7時間睡眠)
10:00 出発
10:15 出社
20:30 練習(所要1.5時間)
22:00 帰社
24:00 退社(約11時間労働)
・・・こんなことを続けていては、駄目だ。
最近、比較的チームに縛られない仕事の進め方が許される状況になって来た(と思う)ので、今年も時間のシフトに挑戦してみようと思う。
最大目標は、以下の2点。
1.睡眠時間帯は「0:00〜6:00」
2.19:45に退社する。
これを軸に考えると、例えば現在と同様に11時間働く為には、7:45に出社すれば良い。スイムサーキットの日は20:30まで観覧席で読書。もの書きは寝る前に集中して1時間。何時間働くかは、朝何時から開始するかで決める(特別な場合を除き絶対12時間以上は働かない。つまり大体7:00より前から仕事はしない)。起きて出社してしまってから最低30分は本が読める。
うーん、いつもながら「計画だけ」は完璧だ。

2001/07/02付 ハングル

何故か好奇心旺盛で、ハングル習得に走っている。習得と言っても「こんにちは」くらいしかまだ知らないし、文字は全く読めないので、一からだ。・・というか、どうでもいいから韓国に行ってみてー。
基礎の基礎会話ベースのCD付きテキストを買ってきて、CDかけてノートPCに向かいながらブツブツつぶやいているだけだが、結構おもしれえ。日本語の単語と同じような発音なものもあるぞ!語源は同じなのかな?CD付きのを買って正解!
NHKの講座は感知していないが、どんな感じだろう?
この春に米子からソウルへの国際定期便が就航し、すでに鳥取市内の主要道路標識や案内にもハングルが表記されるている。僕は自分で勝手に触発されてしまっている。

2001/07/01付 本日の三大事

■ 「郡上一揆」上映会
県民文化会館で神山征二郎監督・緒方直人主演の映画「郡上一揆」の上映会があり、観てきた。
この映画は宝暦年間の郡上、年貢の取立てを固定制から変動制「検見取り(けみどり)」に変えるという藩の増収計画に対する抵抗を描いたものだった。泣き寝入りで受け入れれば皆飢え死に、強訴を初めとする越訴(おっそ:手続きを踏まずに訴え出ること)をすれば処刑は免れない、その窮地で命を賭けて信念を貫く男の姿があった。
感じたことは以下の二点に集約される。
1.主人公定次郎の父は「いつか村の人々の役に立て」と言い聞かされ、百姓ながら父は自ら子に読み書きを教えた。そして定次郎はこの危機に際して、教えの通りに村の為に尽くした。
2.定次郎は捕らえられて拷問にかけられても自分の信念を貫き通した。それは「検見取りだけはどうしても受け入れる訳にはいかない」という唯一のものだ。つまるところ、どうしても譲れない領域というものがあり、死しても曲げられないものを持っているという「心」。

■ 公開シンポジウム「青谷上寺地遺跡の弥生人骨が語るもの」
引き続き県民文化会館では、先日「脳」が発掘された青谷上寺地遺跡に関する一般向けの公開シンポジウムが開催された。東京からも先生が招かれ、非常に興味深いものだった。
この分野には疎いのでちょっと心配だったが、新聞で報道されるか、一般向けの本で紹介される程度の内容が分かり易く講演されて良かった。「脳」については解析中であり深く掘り下げて議論されなかったが、骨から分かることから日本人のルーツまで広い視点で紹介された。
感じたことは以下の二点が主である。
1.発掘されたほぼ全ての骨から「殺傷痕」が発見され、壮絶な戦闘のあったことがリアル過ぎるくらいに伝わって来た。女性・子供関係なしに傷跡があり、武器や殺し方、ちょっとロマンチックに思いを馳せるという感じではなく、かなりドロドロした部分にも非常に大きな発見があったということだ。
2.渡来人がやって来ていた、そして人的・文化的に大きな影響を与えたことはもう間違いの無いことと断言出来る、ということ。日本人は純血の単一民族などではなく、渡来した様々な人々の混血の民族だと言うことだ。

■ WBAライト級タイトル戦
畑山が負けた。

mail
Copyright (C) 1999-2001 Kousaku Nakahara All rights reserved.