日々の雑感

2001/06/29付 夜は感情的

たく殿が「感慨深い」ということを書いたので、これを肴にしよう。
昔に書いたであろうことの繰り返しだが、「夜に書くと感情が入り過ぎる」と良く言われる。特に恋文を書くときには要注意で、若かりし頃にありがちな「自分の世界へレッツゴー」的な独りよがりな文面になってしまう原因の一つだ。朝ふと気付いて読み返すと自ら赤面せざるを得ないモノがそこにある訳だ。
さて、しかしながらこの事を逆手に取れば、そういう感情の入ったものを書きたいと思う時には深夜に朦朧としながら筆を持つに限るのである。溜まった鬱憤が一気に放出される瞬間だ。朝、気持ちの良い目覚めを迎えてさっぱりした頭からは、そんなものは出て来はしない(無論、寝起きが悪ければ書く気すら起きんが)。
酒に酔って饒舌になるが如く、深夜にふらふらしながら流れるままに放出すれば良いのである。
・・もっとも、それが感慨深い文章になるかどうかはよく分からないが。
ああ、明けて午前4時。休日かと思うとハイになるぜ。灰になるぜ・・・。・・・あ、休出だった・・。ちーん。

2001/06/27付 無題

ちょっと、ヲヤジ連合へシフト。

2001/06/26付 四捨五入で加齢

誕生日から半年が過ぎ去った。今年はこの6月26日が非常にひっかかる。二十代も残り1年半となった。
さて、この記念すべき日(?)に「ヲヤジ連合」のページが準備できた。とりあえず何でもやってみようと言うことで、お付き合いの程を(笑)。

2001/06/25付 社長との対話

先日の飲み会で社長にからんでしまったのは周知の事実だが、後日談、明けて先週の水曜日、社長からお時間を取って頂けるとの通告があった。
平社員の僕に対し、ヒヤリングの機会を与えて下さるというのである。
宴席での話であり本当に実現するとは思っていなかったが、ラッキーである。・・ということで、先週は先輩や上司に相談し、自分の疑問点、それに対する今までの行動とその結果、考察をまとめ、事前に資料を社長に提示して、限られた時間を最大に活かす為に動いた。
そして本日の午後にヒヤリングは行われた。
談笑を交えて1時間半、社長の経験談も伺い、会社側の考え方も伝わってきた。僕は現在思うところを全て聞いて頂くことも出来た。まだまだ問題意識のレベル自体が低いので分からないことの質問に終始した部分が多かったのだが、良い機会を得られたと思っている。
さて、何を隠そう、僕は「権力」(という言い方は語弊があるかも知れないが)に弱い。内心萎縮しているし、上に立っている人は皆「偉い」「すごい」に違いないと始めから信じてしまうのである。それはつまり、形式にとらわれて本物かどうか見抜く事が苦手であり、「人を見る眼が無い」ということにつながっている。僕はこういう「悪い意味でのお人好し」からの脱却が、一つ目標なのだ。
思い込みや雰囲気にとらわれず、実際に接して感じていく機会を。

2001/06/24付 今日のサウンドアドベンチャー

ユーミンによると「29歳からの悩み相談」が多いそうである。30歳を目前にして様々な「分岐点」が襲ってくる時期には相違ないとの事である。
無論、ラジオの中での相談事は恋愛に関する事ではあるのだが、その背景には結婚生活に対する事や社会状況を反映している。自分も当事者として、ちょっと考えながら聞いていた。
今日のユーミンの言葉で印象的だったのが「がんばってもしょうがない。」である。「がんばろー!!」という部分と「がんばらなくてもいいんだよ!」の部分の使い分けである。これが使いこなせて30歳になるんじゃないかな、否、大人になるんじゃないかな、という気もする。無論僕も上手く出来ない訳だが。
・・ここで「大人になる」という言い方をしたのは、個人的に「本当の成人式は30歳でいい」という思いからだ。社会に出る年齢は遅く、未だに学生気分で精神的に社会貢献を果たしているとは到底言えそうも無い。つまり精神年齢が低すぎるのだ。悪い意味で。

2001/06/24付 竹の根

結論から述べると、本当に久方振りに「庭仕事」をした。竹の根の駆除である。
どういうことか経緯を述べると長くなってしまうが、裏山の竹林から根が畑に入ってきて、庭が竹林になってしまうのを防ぐ為に根を掘り起こさなければならないのだ。以前から根が進出してきていることは分かっていたのだが、放置してしまっていた。
何故竹林になってしまってはいけないのか?それは竹の根が普通の木や花と根の形態が違うからだ。地下茎というものがあり、網の目の様に一帯に根が張り、もう竹林意外になりえない土地と化してしまうのだ。目に見えない地下から地下へ根は際限なく伸びていく。その生命力たるや凄まじいとしか言えない。最悪、家の下まで根が来てしまうと、ある日筍(たけのこ)に畳を押し上げられる事態となる。
ということで、庭に進出してしまった根を掘り起こすのである。
「地震が来たら竹やぶへ飛び込め」と祖父からよく言い聞かされていたが、それは真実である。根は縦横無尽に分岐し、その太い根からは細かな根が地面に張り付くように無数に伸びている。引っ張って抜けると言うものではない。中心となる太い根(というか幹)に沿って平行にスコップを突き立て、細かな根を断ち切りながら太い部分を起こしていく。・・思ったより大変な作業となった。・・きりが無い。
・・さて竹の根もさることながら、僕自身の作業に対する反応は・・。幸いにも午後から曇りがちでは陽射しは柔らかかった。下から「スニーカー・靴下・ジャージ・Tシャツ・長袖トレーナ・サングラス、そして軍手」と完全防備で臨んだ。日常「温室栽培」の様な僕は、外での過酷な作業への耐久性は低いに相違ない。謙虚に確実に臨むのである。
30分もしないうちに息があがってきた。1時間もしないうちに汗の噴出しはサングラスの内側を水溜りにしてしまい、多分Tシャツからは絞れば落ちる位だ。
発汗という生理現象に対して、上司に叱られて脇の下に冷や汗をかく以外にその現象を具体的に認知するという場面はごく少ない。空調の利いた部屋で1年中過ごしているからである。そしてプールに行ってかく汗は終わってから凄まじいものがある。つまるところ、非日常な場面で身体は確実に過剰反応を強いられている結果となる。
冷蔵庫からペットボトルを取り出してきて「ぐいーーーー」っとそのオレンジジュースを飲んだ。「ぷはーー!」こりゃ、うめえ。果汁100%でもないのに。仕事の合間にすするコーヒーの味とは全く異なる(比較の対象ではないが)。何か人間的なことしてるんだなあ、と思った。ところで「おビール様」は当然ながら我慢した。即身成仏して大切な日曜日がこれで終わってしまわないように(笑)。

2001/06/23付 コブクロの2nd

献血が終わり、そのままジャスコ北店へ直行した。ここのところ週末によく通っている気がする。
さて今日はコブクロのCDでも見ようかと2階のCD屋さんへ入った。外からはこじんまりとして見えるが、中は思ったより奥行きがあって、使えないことは無いな、と感じた。店員さんが若い女性ばかりであったのも個人的には感じ入るところ(?)があった。
さて、何故コブクロなのかというと、いくつか耳から離れないフレーズがあって、あ、これは「買え」のサインだな、という訳だ。3月24日の日記にも書いたが、この日名古屋の栄を散歩中にたまたまZIP FM前で行われていたストリートライブで本人たちに会っていることも親近感として大きく影響している。・・昨夜、コブクロの公式HPに行って、ざっとリリース済みのものを確認した。とりあえず「轍-わだち-」の入ってる2ndかな。・・店には期待に応えてアルバムも数枚置いてあった。?????あ、そっか。コブクロはメジャーデビューして間もないグループだった。これはインディーズ時分のCDなんだ。質素なジャケットで背にも裏にもプリントした紙などはさまっていないケースで7曲入り2000円。「轍-わだち-」が先日2ndシングルで発売されたばかりだが、すでにお馴染み、ということだ。・・という事で「Rroot of my mind」を購入した。
僕はどうも「熱く、熱唱系」に弱い。・・といってもみんな熱く熱唱してるか。たまたまフィットしたんだね。
3曲目の「DOOR」は黒田が始めて作詞作曲した曲らしいが、この熱い歌いは「くる」ね。音的には単調な曲かも知れんけど「行くしかないだろう」がいいね。
今後の活躍に期待。

2001/06/23付 170回目の献血

何物にも拘束されることのないこの土曜の午後、久方振りに思い立って献血に行くことにした。
献血手帳をじっと見て感慨にふける。今回が170回目となり、17冊目のこの献血手帳もお役御免となる日なのである。161回目から170回の今回に至るまでに、実に丸5年の年月が過ぎ去っているのである。161回目を行ったのは平成8年の8月23日。大学院1年目で帰省した時に行ったものだ。前途洋々、何の疑いも無く突き進んでいただけの頃だ。この5年の中でどれだけの変化と躁鬱のあった事だろう。考えるだけで涙がにじみそうだ。献血自体に思うところがある訳ではないが、ここに鏡のように映っている年月の縮図を見る。
さて、土曜の午後とあって血液センターはにぎやかだった。今回は血漿のみの成分。看護婦さんに「コーヒー、ホットで。全部入れて下さい!」と10年来変わらない注文。2回目の返血あたりからけだるさが出て来てウトウトとして、しばらく昼寝でもしたい気分になって来た。そうしていると意外にも「はい、終わりました。有難うございました!」と早く終わってしまい、ロビーでジュースを頂きながら新聞に目を通して、そしてセンターを後にした。

2001/06/21付 アフリカ皆既日食

今日は会社を早く帰らせてもらい、プールに直行して20時30分〜21時30分で練習。しばらくだべって、21時50分に帰宅した。
さて、即行TP1+(僕のThinkPadの名称)を居間に用意し電話線をつないでテレビをNHKにした。
・・今回の皆既日食はアフリカ南部、ザンビア・ジンバブエからマダガスカル島にかける範囲で見られる。皆既の継続時間的には西側のアンゴラが最も条件が良いらしい(5分くらいだったか)が、内戦状態で行けない様だ。というか、仕事を投げ出してどこへも行くことの出来ない身なのでどうでも良いが・・。ザンビアの首都ルサカという所では日本時間で22時11分から皆既が始まる。その現地からインターネットを通してライブ中継がされるということで、今回はそれに興じようと言う訳だ!
今回事前にリサーチしていたのはアストロアーツのHPからの中継サイトだった。で、早速アストロアーツへ行ってみるが・・「つながらねー!」。込み合っているようである。予想できた事態ではあったが、時間に追われてかなり焦った。もう22時になっている!Yahoo!の検索ではgooの結果が役に立たず、Googleで少しキーワードを変えてみたところ「LIVE! ECLIPSE 2001」なるサイトにぶち当たり、間一髪数分前に中継への接続に間に合った。あー、何やってんだか。
太陽は既に三日月状を通り越してほそーくなっていた。もう少し、あと少し!
あー、思い出すなあ。こういう像を通して、過去の記憶が鮮明に蘇ってくる。
中継の映像は確かに鮮明ではないが、雰囲気だけは十分に伝えていた。画像の更新も動画として切れない。
そして遂に第2接触の瞬間はやって来た。両親を呼んで、何が起こるのかよく分かっていない二人に「さ、これからだよ、ほれ、よし!」と注意を喚起し、画面が真っ暗になった瞬間に一角からまばゆい光が飛び出した!!
この瞬間は、どの様な形で対面しても感動する事よ。
そして丸くコロナがその姿をあらわにする。・・露出の加減か、活動期である筈なのにコロナの広がりは大きくないように感じた。突出したモヒカン型も見られない(これってどういう時期の特徴だったっけ?忘れてしもた)。平均的に丸い印象だ。プロミネンスが数ヶ所見られ、しばらくするとやや立ち上るような「動き」があったように見えた。見ていて動くなんて、一体どんな速度で動いているのだろう。少なくとも地球数個分のものが数秒で地球数個分動いているような感じじゃないだろうか(数字はちょっと出鱈目かも)。とにかく「動的」なのだ。
約3分はあっという間に過ぎ去り、第3接触は無情にもやって来た。
いやー、インターネット中継がこれほど興味深いものだとは思いもよらなかった。本物を体験するより無いという固定観念の露呈だが、「リアルタイムに切れ目の無い映像」という効果の大きさを知った。「来る!来る!」という興奮とその皆既の継続時間の淡々たる何とも言い表せない状況も、実際のその時間の間にずっと立ち会える訳である。大変面白かった。行けなくて残念な気持ちも慰められたというものだ。
中継してくれたサイトの皆様、本当に有難う。

2001/06/19付 (作成中)酸欠

運動をしていて自由に呼吸が出来ないというのは水泳の特徴の一つだと思う。いつどのタイミングで呼吸を我慢しなければならないかというと「ターン」の時である。特に平泳ぎの場合はターン後に「かき」と「けり」を一回ずつ潜水状態で行うことが出来る(しなくてもよいがした方が速く泳げる為、練習する必要がある)。このターン後の潜水がとてつもなく厳しいのである。考えてみよ、25mプールで200mの練習をしたとすると、ターンは計7回もしなければならない。その度に心臓バコバコ言わせながらもがくのである。
さて今日の練習の途中で何かが「プツっ」と切れた。スーッと頭から血の引く感じがしてやけに自己の意識が客観的になってくる。末端部分から身体の部位の動きが鈍くなる。そして口を大きく開けても空気が一向に肺へ吸入されている感じがしない。思い浮かぶ情景と言えば、金魚鉢で金魚が水面に口を出しパクパクしているという図だ。ああ、変だ。「くるしい」の種類が若干異なる。
これは俗に酸欠状態というらしい。個々人にそれぞれ最大酸素摂取量という身体能力があるのだが、これが低い為にこの様な状況へすぐリーチがかかってしまうようである。この能力は向上させることが出来るが、厳しく地道な努力を要する。はあ。
・・ということは以前にも書いた気がするが、この状態を更に通り越すと、指先のしびれ、ろれつが回らなくなる、足元がふらつく、など日常生活上不都合が生じる事態となる。泳いでいる場合ではない。・・今回は朦朧とするだけで済んだが、その後の疲労感と言ったらない。全身がまるで鉛のようだ。

「なぜみんなそんなに元気なんだ?!」
「中原さん、なんでそんなに疲れているんですか?!」
話が全くかみ合わない。

2001/06/18付 シリーズ異人外伝A「津村栄太・つむらえいた」

先週末は米子の東山水泳場に於いて「中国五県対抗水泳競技大会」が開催された。競泳は各県が各種目3名(開催県は4名)の代表を送り出して行う、地方で最大級の大会である。本日の日本海新聞にその結果が掲載された。気になる男子100m平泳ぎの結果を見て驚いた。@津村栄太(広島)1分6秒84。どこかで見た名前だ。webで検索をかけて確認した。間違いなかった、この人は昨年の富山国体で30歳以上男子50m平泳ぎを制した津村さんだ。
昨年の国体の中継を見て息を呑んだ。オリンピック選手とは似ても似つかぬ、アメンボの様に水面を這う様な上下動の全く無い水平的な泳ぎ、そして異常なピッチ泳法、更に水から上がって度肝を抜かれたのは鍛え抜かれた全身の筋肉の盛り上がり。そして駄目押しの様に解説者は言った「この人は25歳から水泳を始めたんですよね。すごいですねー。」本当に凄いよ。
ということでこの津村さんは、密かに一時期マイブームだったりした。多分今年で31歳であろう彼は、まだまだ現役バリバリで100mを制している・・。あこがれだなー。

2001/06/14付 シリーズ異人外伝@「田中義人・たなかよしと」

毎週木曜日にスイムサーキットのコーチをしてくれるのは田中義人氏(22だっけ?)である。地元大学に在学中の、現役青春真っ盛りだ。でも彼女は居ないらしい。
私と義人氏との出逢いは、約2年半前に遡ると記憶している。私が水泳を再開した頃は土曜日しかプールの勤務が無かったのか、半年程してから初対面だった筈だ。彼の初登場はスイムサーキット終了後、いきなり25m自由形のタイムトライアルを始めたのだった。誰だこいつ?と思ったら、「12秒9!」と計測のコーチ(後本コーチだったか?)が声を上げた。「なんだ、別に特別速くねージャン。」失礼ながら心でそうつぶやいたのを鮮明に覚えている。ごめん。
そしてこれまでに彼について知り得た事は、高校現役時代には育成コースに所属し県下でブイブイいわせていた最速スイマーの一人であったという事。そして今は「可愛い系」が大好きな私と同類のお気楽スイマーであるという事、である。
私はよく彼に「中原さん、紹介してくださいよお。」と声を掛けられる。「俺にも紹介してくれよお。」と切り返す。これが我々の心地よいコミュニケーションだ。しかし次の瞬間私はマジ顔になり、暗黒の思春期を回想し、彼に猫の手レベルの事もしてあげられない自分を自己嫌悪する。よしんば暗い過去は横に置けたとしても、練習後に職場へ舞い戻るような生活者には彼の期待する何者も存在しよう筈がない。またごめん。
閑話休題、彼の水泳のコーチとしての姿を真面目にみてみると、モットーは「みんな楽しく!」であると感じている。スイムサーキットとはいえ、レベルやモチベーションは十人十色の集合体である。この集まった人々全て、自分なりの楽しみ方が出来るように心を配っているようである。練習時間帯が変更になる時に「一人でもそれで来れなくなったら、変更はちょっとダメですよね。」という意味の言葉が非常に印象に残っている。私が、客観的に環境改善される為には多少の犠牲も止むを得ない、というクールな考え方をしていたのと好対照であったからだ。見かけによらず人情派であると推察した。
・・ということで今回は本人からのたっての希望により、少々軽口を叩いた。
・・とにかく早く彼女。いい奴だけー。お問い合わせは当サイトまで。24時間受付中。

2001/06/09付 2000年度ランキング発表

先週、日本海新聞で競泳の2000年度ランキングが発表された。
中原は昨年8月6日の鳥取県選手権に於ける「男子50m平泳ぎ」で記録した「33秒87」が、6位にランクされた。県で十傑に入ることは非常に嬉しい事だが、私の様な者がここに登場する様ではまずい、というかダメだ。県のレベル低下と層の薄さが露呈しているに過ぎない。
補足だが、同種目1位の選手は33歳、3位の選手が27歳、6位の私が28歳である。頑張れ、高校生。
 

2001/06/05付 スピード狂人生 〜水泳、否、競泳マニアの行く末〜

「スピード狂」といっても、私の場合は車のことを言っている訳ではない。無論泳ぐことについてである。ここに至って「どれだけ速く泳ぐことが出来るか!」という命題に対して尽きることの無い欲求に苛まれている。日々どんなに忙殺されようとも、どんなに疲れていようとも、細く長く地道な練習を積み重ねるその理由は「ただ速く泳ぎたいから」という明快な一点に集約される。
私は何故スピードに狂うのか?私は何故速く泳ぎたいと思うのか?・・とりあえずブレーンストーミングしてみようと思う。挙がった事項について即座に判断できるものについてはその是非を考察していく。
・・と、その前にいきなり話が脱線するが、先日の大会での一コマ。大会では記念Tシャツを販売しており、また参加者全員に記念章として綺麗なバッジが貰える。私は言わずもがなミーハーな部類なので、即行Tシャツを買ってその場で着替え、バッジはおもむろにジャージの上着へキラキラと輝かせた。「へへーーん!」と大会の雰囲気に心身共に染まり切り、独り悦にひたって居るのであった。・・これは人として常であってもよい筈だが、同行の林さんは「・・マニアックだなあ・・。」と他人を決め込んでいる。そんな馬鹿な、あなたにその一言を言われたくないなあ。同じスピード狂なくせして。・・・。・・あ、もしかして問題のすり替えがあった?今・・。

■スピードの結果得られる快楽
速く泳ぐことが出来ると、こんなにイイことが待っている!という事の為に頑張っている可能性がまず思い浮かぶ。
(1)大会で速く泳げるとご褒美(賞状・メダル)がもらえる → 名誉欲:確かにガキの頃はこの為に頑張ってた。
(2)大会で速く泳げるとご馳走が食べられる → 食欲:赤飯を炊いてもらえて幸せだったが・・。
(3)速く泳げることを自慢したい → 自己顕示欲:大会で優勝したら学校に行きたくなったものだ。
(4)速く泳げるとモテる → 性欲又は勘違い:速ければカッコイイと思っていた。
(5)大会で速く泳げるとビールがうまい! → 真実:これにより絶大な幸福感を得られるのは動かし難い事実。 (6)ライバルをギャフンと言わせたい → 勝利欲:確かに勝ちたい。が、戦う相手は結局自分だ。
(7)大きな大会(国体とか)に出場できる → 名誉欲:確かにそうだが、それは結果だ。

■別目的の結果論的スピード狂
実は、別に速く泳ぎたいと強く思っている訳では無いのだが、他の目的の為にやっていると結果として速くなってしまった、という後付け的な側面は無いか?
(1)プールに可愛い娘が居るから通ってしまう → 性欲:確かに練習に力は入るが・・。
(2)プールに綺麗なお姉さんが居るから通ってしまう → 性欲:ますます練習に力が入るが・・。
(3)女性の水着姿がたまらない → 性欲又は危険:幼い頃から日常的に見ていて今更興奮しない。
(4)健康の為に泳いでいるが → 自己管理:そもそもダイエットの為だった。ほんと。
(5)プールで友達に会える → 人的交流:これは真実。しかしスピード狂になる必要性はない。

■スピード、それ自体にかかわる問題
速く泳ぐこと、それ自体に崇高なものを感じているのか・・?
(1)魚になりたい → 変身願望:水を得た魚になりたいが、人間の域でいい。
(2)速く泳ぐと凄く気持ちいい → 快感:大概えらい。陶酔状態までの道は険しい。
(3)最速の男になりたい → 自己満足:正確には「自分の最速」へ到達したい。

■ 6月04日に感じた事
結局昨日(03日)の大会でも僕は目標とする記録へ到達することは出来なかった。記録的にはこれで約10ヶ月間の足踏み状態が続いていることになる。観戦からも「今の泳ぎでは限界に近付いているかも知れませんね。」との客観的な指摘が入っている。
今日泳ぎに行ってはっきり分かったことは、「自分にこれ以上の上達は無いという事は信じられない。受け入れられない。」という固執だ。ストイックといったものではない。悲壮感と焦燥感のかたまりであるような気がした。この行き場の無い気持ちを慰め不安から逃れる為には、ひたすら泳いで練習に溶け込む以外に無いのだと、まさに泳いでいる途中でハッと気付いた。そして目先に狂って後先も考えず、息を荒げながらインターバルをこなしている自分が居る。
「自分に何が出来るのかという可能性に挑戦したい」という事がズバリ本質なのだろう。僕はそれを現時点では競泳に求めてしまっている。本当は他の事でも良いのかも知れないし、現にこれまでは他の事だった。その他の事には今は一切感知せず、競泳だけに全身全霊を傾けている。そこで結果を出して「自分はこれでこれだけやったのだ。」という事を確立し、自己証明をしたいのだと思う。ここには自分をその様にしてしか確認出来ない自分が居る訳だ(だから固執なのだと思う)。詰まる所・・
(1)達成し自分の証としたい → 自己証明:スピードはその手段である。
・・面白半分で書こうと思っていた本題であったが、矢張り深く内面に根差したものであった。

Jun. 17, 2001
サングラス
ジャスコ北店の食品売り場の一角にサングラスの掛けてあるクルクル回る奴があった。ふと見ると「100円均一!!」とある。うへー、ついにサングラスも100円かよ!
僕は昨年背中に酷いやけどを負った。というのは日焼けを通り越して物凄い状態になってしまったのだった。あれから「日焼け恐怖症」に陥り、年齢から考えて皮膚にはシミが確実に残っていくのかと思うと、日光が怖くて仕方なくなった。もう絶対に小麦色の肌なんて欲しない。夏だって長袖を着てやるぞ。という意気込みなのだ。同時に熱射病対策に帽子は欠かさないし、あと不備があるとすれば眼の保護としてのサングラスだ。
サングラスはUVカットを必須とし、濃すぎないものとした。矢張り瞳孔が開いてしまって可視光外を多量に受け止めるのは良くないと思うから。
しかし僕はサングラスはおろか眼鏡というものをしたことが無い。帰りに着けてみたが、目頭がムズムズしてどうにも気が悪い。慣れるであろうか。
Jun. 17, 2001
父の日
一昨日親父が開口一発「CDの裏面はどうやって聴くんだ?!」「・・・・・。」一同灰色になった。嗚呼・・・。
日頃から親父の口癖は「何だお前、そんなことも知らんのか。何勉強してきたんだ!?」だ。僕は自分の無知は謙虚に受け止め、教えを請う態度に出る。・・今回はまさに立場逆転の事態が突如として起こった訳であるが・・。「・・お父さん、CDに裏面は無いんだ。」「ん!?そ、そうか!道理で表面が長いと思ったら・・。」「だから表とか裏じゃないんだって・・。」僕は「勉強しよう!!」と元気になるべく明るく言ってその場を立ち去った。親父は開き直って「笑わば笑え!がはははー。」となっていた。
そう、僕は自分の無知を他人からどんどん指摘して欲しいし、出来る範囲で勉強したいと思う。親父はどう思っているのであろうか?
・・ということで父の日プレゼントはナツメ社から出ている大河啓・大矢浩史監修「図解雑学 デジタル」にしてみた。中学生程度向けの科学読本だが、エッセンスが分かりやすく書いてあって良いと思った。
Jun. 17, 2001
続・お香
ジャスコ北店1Fの雑貨屋さんへ入ると、香り系のコーナーに思った通り「お香」も置いてあった。箱から中身が想像できない、化粧品か何かが収められているかのような小箱が所狭しと並べられていて、知らなかった世界にワクワクしてしまった。実のところよく見れば、エッセンシャルオイルが染み込ませてあるだけのもので、その香りは自動車の芳香剤となんら変哲も無いもののようである。唯、これを「焚く」ということで新たな意味が生じるのかどうかが関心事ではある。
箱に示してあるアドバイスをもとに、安らぎ・鎮静に効果がある「カモマイルの香り」と、頭脳明晰・プラス思考になるという「グリーンアップルの香り」の2種類を購入してみた。うーむ、今前者を焚きながら打っているが、アース蚊取りマットよりは確かにベターだ。煙になると「甘ったらしさ」がグッと抑えられて部屋中に一気にほんわり充満する感じが何か良い。ちょっとハマリそう。
Jun. 17, 2001
電話アンケート
TMTKの6月9日付の日記にキャッチセールスにつかまってしまった顛末には笑ってしまったが、僕も昨日に軽くアンケート電話がかかって来たのでリアルタイムだな、と思ってしまった次第である。
TMTKは「しまった…。なんかの勧誘だよ…。受け取ってしまったのでしょうがない」と述べている。気持ちはよく分かる、が、後の会話の内容から必要の無いと判断したならここでも逃げるタイミングは十分あった筈である。憶測するに、矢張り勧誘のお姉さんは相当可愛いか綺麗であったと思われる(笑)。
そしてTMTKの「大嘘」が始まるわけであるが、「成長」を感じずには居られない。というか、僕は馬鹿正直人間でこの様なことが出来ない為に、凄みが伝わってくる次第だ。羨ましい。
さて僕の電話アンケートの件であるが、「もしもし**会社の**と言います。」「・・?」「大阪のアパレル会社で立ち上がったばかりなんですよ。ついては若者の皆さんの意見を伺いたいと思いましてアンケートにお答え頂きたいんですが。」「あの、時間無いんで、失礼します。」・・何のオチも無いが、若いお姉さんはアンケートに答えて欲しかったようだ。しかし言っている事が本当であったとして、大阪の会社、しかもアパレル系の会社のサンプルに僕などがなってどうするというのだろうか?素人には分からない。第一、電話番号が知れている時点で怪し過ぎるよな。
僕の場合「時間が無いんで」という事に決めていて、それしか芸が無く、今回のTMTKや会社の先輩から聞く「逆におちょくって遊ぶ」ことなど毛頭出来ない訳で・・。いやはや、対人関係というか、取引・やりとりという事にほとんど従事しない職種に居る者として、あらゆるケースに上手く応対するということの欠如を感じる。フレキシブルな判断、対応、これも場数をこなさないと到底身に付かないものかな。
Jun. 16, 2001
お香
頂き物の「お香」を焚いてみた。アロマテラピーが言われて久しいが、カジュアルなお香もこれらの部類に入るであろうか。詳しくないので教えて欲しい感じ。
「何かまいた!?」「アースの臭いがする!!」とお袋が階下で騒いでいるのが聞こえた。僕の部屋の匂いが漏れ出した事に相違ないと思って話しに行った。部屋に戻ってきて確かに思った。これはアースの蚊取りマットの臭いに似ている!!
お袋が「こんなのもあるよ。」と言って、インドのお香をおもむろに出してきた。これも頂き物なのだそうだが、日本人とは趣向が合いそうに無い香りが焚く前から漂っている。まあ試しにということで火を点けてみたが、うむ、癖になるのだろうか、と素人は一歩引く感を否めなかった。連続して、何かをスモークするように焚いたこともあって(常に次々とモクモクさせておくものなのかどうかからよく分からないのだが)部屋は物凄い臭気が充満していることと思う。すでに慣れて鼻が利かなくなって来ている。
明日街を徘徊して、もっといい香りのものが無いか物色していようかと思う。
Jun. 16, 2001
別れ
彼女が研究の都合で夕刻に渡米の途についた。約1ヵ月半の別れである。
普段から離れ離れなので今更どうという事でもない筈なのだが、ほぼ声の聞けない日々になると思うと正直淋しいものだ。真面目な話、僕は彼女の口調・ものの言い方が好きで、声を聞くだけで楽しく癒される思いがする。好きな音楽を聴いたりするのと非常に良く似た感覚がある。従って聴く事の楽しい人が、お気に入りのCDを全て取り上げられるのと全く事の重大さは同じ感じだ。
彼女は英語力もさることながら、更に見聞を広げ、(腹回りも)大きくなって帰ってくることだろう。僕も負けないように、というかがっかりさせないように頑張らなければならない。
Jun. 16, 2001
目覚め
朝、ではなく昼過ぎに意識が回復した。
悪い夢を沢山見た。(1)自分がいよいよ待望の結婚式に臨もうとしている。しかしよく見ると相手は全く知らない女性だった。(2)パーティーでレストランでの支払いが7万になり幹事の僕は足りずに困って、外で待っている人たち(何故か外人)に足りないから助けてくれと言うのだが、一向に問題が解決せずレジと外を何往復もする。(3)時間の無駄だなと思いながらテレビの前でボーっと1時間過ごす。(4)独りで延々と店の中を回り、何回もスヌーピーのグッズ売り場で立ち止まり同じ商品を見続ける。(5)やっと彼女が出てきて楽しく談笑する。・・覚えているだけでもこれだけはあった。あ、(5)は悪夢ではない。最後に救われたものだ。
頭が痛い。完全に二日酔いだ。
昨夜の顛末を回想して自己嫌悪に陥る。昨夜はお似合いのカップルの後姿も見てしまったので、居たたまれない孤独感に襲われてしまう。彼女が米国へ経つ今日という日が来てしまったのが恨めしい気持ちが大きいこともある。
喋らないとスッキリしないと思って、とりあえずお袋に口を開いてみた。「昨夜社長にからんじゃったよ。」「からみがいのある社長さんかい?」流石は人生の師である。僕が予想した返答は「ダメじゃないの。」とか「また飲み過ぎたんじゃないの。」程度のものだったこともあって、この返しには絶句した。「・・うん。そうだね。」とワンテンポ遅れて返事をした。「不平不満を並べてしまったよ。」「並べるだけじゃダメだねえ。ちゃんと案を持って言わなきゃ。」・・何という切れ味であろうか。返す刀がバッサリ僕を切り捨てる。何か当然の事を当たり前に言われているような気がしつつも、前後不覚な僕には身にしみてしまう次第であった。まずは社長に非礼をお詫びし、案が持てるように善処しようと心に誓った。
Jun. 16, 2001
嗚呼、社長
昨夜はグループの新人歓迎会があった。五十嵐くんが6月から我が開発室に配属されて早2週間、しかし忙しくて日常ろくにコミュニケーションがとれていない。今回は少しでも多く話そうと頑張ってみたが・・。話す相手が別になってしまったようだ。
まずは酔郷(すいきょう)で1次会。五十嵐くんの希望で魚料理がメインであるが、日本酒を飲ます店なのだから至極妥当な線だと思う。たい、あご、えびの刺身、これが旨かったのでそれだけで何も申すことは無い。しかし昨夜の日本酒は苦いというか、とにかく口に馴染まなかった。全く精神から来るものなのか、不思議なものである。生中で乾杯後これ一気に飲み干し、酒瓶が収められた保冷庫へ向かう。「おー、今日も香住は健在。住吉も残ってる。諏訪泉には今日も手を出さないだろう。いなば鶴が置いてある!」と心でつぶやきながら香住鶴を鷲掴みした。・・注釈だが、馴染みの客はかどうか「セルフサービス」としている。ビールも酒も自分で好きなものを好きなだけ注いでやってくれ、いちいち数えないし、というものだ。先に述べたようにこの香住鶴が驚愕に値する程口に馴染まなかった。はっきり言ってしまえば不味いのである。気を取り直して日置桜を注ぎ、そしてほのかな芳香が広がり、これは美味いと感じた。続いて山形の住吉を含むも、ああ、この独特の臭味というか香りがいいんだよと悦に浸った。いなば鶴はインパクトに欠け、鷹勇も呑んだことしか覚えていない。・・これだけ飲みまくれば味もしなくなるか・・。最後の一杯は日置桜に戻る。矢張り僕はこれが好きなんだなあと涙ぐむ。・・あ、結局日本酒が口に馴染まなかったという話は最初の一杯だけという事になるか。舌足らず。(注:ここでの一杯は約8尺。×6で計約5合頂いた。)
っと、その途中で「岩牡蠣」が出された!!これは当初のメニューには入っておらず、マスターが当日入手出来たので「みんな食べられるよね?!」といって出してくれたのだった。これにも涙が出た。梅雨入っているので、もうシーズン突入なのだ。無論、パーティーの会費内でサービスに追加出来るような代物ではない。実のところ裏ルートなのであって、表となればこの巨大な牡蠣は一つ数千円を下らないであろう、とマスターも認めていた。
別に2時間半を日本酒とその肴だけに心酔していた訳ではなく、色々と話に花が咲いた。NHKのプロジェクト]の話題では無論H2ロケットが出てくるが、これ、後編を観るのをすっかり忘れていて後悔の話になってしまった。このロケット開発の讃美について「疑問符が付く」という意見が出された時、僕もそうだと感じた。相当前にこの日記でも関連で宇宙開発について非難めいた事を書いたが、まさにその血税を投入するだけの何があるのかを具体的に示せているのかどうか、説明不足のような気がしたのは確かだ。ドラマとしては非常に面白いが、ドラマを見せるに留めないで欲しいという事だ。それはさておきこれも以前日記に書いたことだが、これは会社で皆で見るべきですよ、という事を提案してみた。具体的に行うかは別問題として、趣旨にはリーダーも賛同してくれ、そういう啓蒙活動は必要だという認識で一致した。
さて肝腎な五十嵐くんであるが、彼の「出生と生い立ち」についてかなりの部分が解明された。そして関西の大学に居たくせに何故関西弁が出ないのか、という問いに対しては「出さないように努力しているんです。」との物言いに爆笑した。その気遣いとは一体何の意味があるのかさっぱり分からなかったからだった。本人は一所懸命こらえているらしい。ということで私も含め、この集団では一体何語が話されているのか皆目分からないという事を再認識した。
そして2次会は半年以上振りの「ウェルカム」だ!ママさんは元気だろうか。ま、そんな心配はするだけ無駄かと思うが。入れるかどうか覗くと、何と社長のグループがいらっしゃる。その場はいきなり我が社の集団20名弱でごった返すこととなった。ママさんは相変わらずテンションが高く綺麗だった。お姉さんは以前来た時の人が居た。この人、浜崎あゆみに似ていて小柄で可愛い人なのだが、私から見るに「クール」でちょっと敬遠したくなるタイプだ。というのも私など小童(こわっぱ)には話し掛けるどころか一切相手にしていない面持ちだからだ。ということで名前も知らない。
それはさておき、暫くして社長が僕の横にいらっしゃって若者連との対話モードに入ってしまった。客観的に見て、今の僕の状況ではこの上なく危険な状況が訪れていたことになる。不平不満が鬱積している所への社長。田中真紀子の言い分ではないが、裸足で地雷原に入っていくようなものだ。最初は使用するエディターの話になりVIの前身の何だかが良かったという昔話に花が咲き、非常に朗らかなムードで進んだのだが、「社長はどの様な方とよく飲みに来られるのですか」という質問の辺りから雲行きが怪しくなった。今となっては記憶が定かではないが、仕事・会社に関する疑問点が口から出てくるようになる。社長の考え方と現場の現状とのずれがあると思われた部分には即刻突っ込んだ意見を吹きかけてしまった。特に「メールでの報連相質」についての議論では、ある部署への不満として「相談したことに対して全く反応が無いことがある。」という私の言い分に、その方法として電子メールで行ったという事実を確認されると、社長は「それはダメだ。」と切り捨てられた。何故ダメなのか私が詰め寄ると、「メールで相談した件について相手から回答が無いからといって、相手の不備を非難したり、解決が遅れたりするのは馬鹿げている。本当に自分が必要とする相談であったなら、解決の為にあらゆる手段を講じてみるべきではないのか。メールでダメなら乗り込んでいって顔をつき合わせてやるべきだ。」と仰ったのに「ギャフン」となった。更に懲りずに他の議論に進んでしまい、ついに「今は酔っているから、今度またゆっくり話そう。」と社長に提案させてしまうに至ってしまった。思えば僕一人が社長の胸倉を掴んで吠えていた形だった。反省している。・・兎に角、社長がもし本当に時間を取って下さるとなった場合には、再来週中20分程度のヒヤリングという形で実現する。今となっては尻込みするばかりで致し方ないが、出来る限りの作戦を立てようという策士の気概だけは捨てないで頑張ろうと決心した。
社長が上司たちの輪に戻られてから、誰からともなく「中原は・・・。」とキーワードが聞こえてくる。錯乱状態の僕への非難であろうが、気にしないことにした。無論僕は「またやってしまった・・。」との後悔の念が軽く訪れてはいたのだが。
ウェルカムを後にしたのは25時を回った辺りだったのだろうか、気が付くと僕以外には太田リーダーと山根さん、五十嵐くんの3人しか残って居ない。これでも新人歓迎会なのだろうか?と全く自己中心的な心境になりながら、白木屋へと向かった。私は山根さんとお話しさせてもらうのは実は今回が初めてだったのだが、気さくな人柄で、初めてであろうとそう感じさせない雰囲気のある方だ。誰でもそうであろうが、この様なタイプの方には共通の話題の有無に関わらずパーンと入って行けて非常に嬉しい。
白木屋では取り留めの無い話に終始し、結局五十嵐くんともありきたりの事しか言葉が交わせずダメだった。全然それでも良いのかも知れないが、僕的に何か足りないような気がしてしまった。それが何なのかはよく分からない。太田リーダーが珍しく、というか必然だったか、27時を回って「もうダメ。」と言って意識が朦朧とされていた。そしてそこで早々に解散、ということで幕は閉じた。
Jun. 11, 2001
あさる事
名駅の高島屋にある三省堂と栄の丸善をはしごして、面白そうなものと必要なものを物色した。大雑把に丸善は鳥取の富士書店の倍の規模だろう。インターネットで検索し、ありとあらゆる本を注文して即行入手できてしまうご時世だが、棚を前にざーっと背表紙を流し見する検索は効率が良いし、実際に中身をパラパラしてみたいので大きな本屋さんは絶対必要だと感じている。
Jun. 09, 2001
無題
今日は会社の先輩の結婚式2次会に出席した。集合場所は会社の駐車場で、そこから皆で送迎バスに乗って会場まで行った。その集合まではそんなことはなかったのだが、集合場所に着いてから一気に気分が悪くなった。ここで言う私の「気分が悪くなった」は、ほとんど体調に関係しない感情的なものである。最近は、人前に出たり何かの集まりになったりすると、対人恐怖症的な症状に見舞われることが少なくない。うまく人と話せないし、あまり話をしたいとも思わない疎外的な感覚に襲われる。根本的な要因を洗い出さないと、仲間の輪から脱落してしまうので、カウンセリングでも受ける必要がありそうだ。
何を話してよいのか分からない。私は最近アウトプットするだけの何物も有していない。というか何もしていないので何も出せない、という気がする。少しでも情熱を傾けているものがあるにせよ、非常に内面的な、輝きを持たせるような物になっていない気がする。そんな輝きがどうのと言わなくても、とは思うのだが、要するに自分に自信が無い状態というか、自分がみすぼらしい存在に思えて仕方が無いのだ。他人はあんなに楽しそうに振舞えるのに、それが自分には、もう本当に出来そうにも無いと諦めたくなる位、どうしようも無い気分に落ち込んでしまうのだ。頭の中で考えているだけで道具を持ち合わせない手品師か、声の出なくなった漫才師の様に成す術も無く立ち尽くしている感じがする。
焦燥感と虚無感に襲われて、自分は一体何をやっているのだろう、と自問自答で精一杯の毎日の中で、他人と関わる余裕そのものの欠如があると思う。自己満足出来ていなければそこで全てが断ち切れてしまい、外へ抜け出す何事も出来ないで居る様だ。
黙って人々の会話に耳を傾け、苦しいこの一時がどうにかならないものかを考え、彷徨って居る。
今日、私を更にどん底へ突き落としたのが、友人が彼女と離別したという事実である。何故このような晴れの日にそんなことを知らなければならなかったのか、それは必然の流れだったのかも知れないが、あまりにもショッキングで失っている言葉を更に失わせた。二人とはこれまで仲良くさせてもらっていたし、羨ましい程の環境と雰囲気を持っていた。いつゴールインしてもおかしくないと傍から微笑ましく見守っていた筈だったのに。彼の話では仕事の関係上時間が合わなくて、という事があったが、一面的にせよ仕事が原因で引き裂かれる大切な人間関係とは何かと思った。他の要因は置いておき、それで済んでしまう弱い関係ならいざ知らず、仕事が為に強い関係が引き裂かれるのは本末転倒だと思ってしまう。それ位残念で仕方が無いのだ。しかしそんな彼自身は私達に対して何事も無い様に明るく振舞い、皆を楽しくさせている。私には到底持ち得ない強さを持っているような気がした。・・この様にジメジメしたつまらない私からは、人が去っても仕方無いのに・・。

思った事は書いた。口頭では到底話し得ないので書いた。表現することによって解決に少しでも近づければ、という気持ちはある。腐り切っては居ないと少しは前を見て。

Jun. 05, 2001
遊べませんな
午前2時を回ると落ちてしまう。以前の様に逆に冴えてしまうということが最近無い。という事で更新はおろか、ネットにつなぐことも出来ない日々が断続的に続いている。
心身の状態を考慮して、日付をまたいで帰宅した日は、無条件に接続を諦めている。いい加減、一般的な生活をしてみたい。
Jun. 02, 2001
至福のまどろみ
今日は夕刻にプールへ行く以外には一切の予定を入れていない、完全休養日だ。いくらソフト開発が一般に内向的な作業といえども、絶え間ないチームワークである。仕事を終えると、もう独りにしておいてくれ、という思いも顔を出す。だから完全休養日には独りの時間を大切に過ごしたいと思っている。滅多な事では友人の居るところへ遊びに行くことはもう無い。
慢性的な肉体的倦怠感を取り除く為には絶対的な睡眠時間の確保が近道なので、午前中は睡眠に多くの時間を割き、午後からはコーヒーをいれて散らかっている本を拾ってパラパラとやる、贅沢な有閑ではないかと錯覚するような時間を過ごした。そうする中で思い立って、富士書店からいくつか物色して舞い戻り、目を通す内に意識がすーっと飛んでいくのが分かった。
「お昼寝」という感じのことをしたのはいつ以来だろう。外はポカポカ、窓から心地よい風がそよそよと僕の頬を撫で、座椅子の中で至福のまどろみを迎えていた。
何の制約も干渉も無く成り行きに身を任せ、自分のしたいようにすることの出来たこの時間は、本当にささやかながら貴重なものだった。

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