母上生誕日 焼肉メインで、ユッケジャンスープ、クッパなども頂いた。韓国風サラダは、サニーレタスに和風ドレッシングがかかっているだけのような気がしたが、カルビは矢張り美味しかった。ビールもジョッキに3杯頂き、満足。。 とりとめもない話で穏やかな時間は過ぎ、大河ドラマに間に合うように帰宅した。 ・・さて本日はちゃんとしたケーキなど買う暇も無く、真夜中の帰宅途中にコンビニでちょっとしたケーキのようなモノを仕入れて帰宅した。こんなものでも、団らんの材料として不足は無いだろう。私は夕食、母上はケーキを頂きつつ夜は更にふけた。 弘山、2位! オリンピック女子マラソンの出場権争いの凄まじい状況は周知の通りで、私も行方が非常に気になるだけに、今回は見逃せないと思っていた。個人的には「しぶとさ」の固まりのような有森裕子がどの様な結果を出すのか注目した。 スピードレース、この言葉が重要単語であることは予備知識として持ってはいたが、スタート直後、競技場を出る時には既に先頭集団が13人に絞られてしまったところで、もう興奮してしまった。色眼鏡をかけて観れば、個々の意気込みと言うか闘志をむき出しで突っ走っている様子が直感的に伝わって来た。選考レースは違うな!と勝手に思った。 そこで起きたドラマは新聞にもあった通りだが、事後の選手それぞれの言葉を見るのも興味深い。浅利純子は、何としても完全燃焼できる機会を持って欲しい。 ・・次回名古屋では、高橋尚子の快走を観たい! あ、笑顔の(旧姓)小鴨由水も、印象的だったな。 タブレット購入 ヤマダ電機へ行ってみたが、案の定USBモノばかりで私の旧Macにはつながらない。うーんと言ったところでそいつは居た。「ImagePad Pro」・・・。ワコムタブレットではない。「漢字Talk7.1以降に対応」・・怪し過ぎる。軽く4、5年は経っているぞ。。G3に付くか?! 「すみません、これいくらになります?」 「えー、3980円ですね。」 「あ、買います。はい。」 B5サイズのタブレットは3万弱はする筈だから、いくら型落ちとは言えこれは試してみる価値がありそうだ。それに、私はたかだかHPのちょっとした下手絵を描きたいだけである。きっとドライバも探せば出てくるだろう(現行が市場から消えていなかったら・・)。 さて、不安と期待の中で動作確認!・・私はタブレットなるものに全くと言っていい程予備知識が無い。お絵かきパッドとしか考えていなかったから、ペン先でクリック出来たり、ペンのボタンを押せばダブルクリック、更にパッドの横にはキーバインドされたパネル(パッド上を自由にカスタマイズ可能)があるのにはびっくり。おーー、こういうものだたのかあ。しかもADBのコードをキーボードに差すとそこから二股になっていてマウスも取り付けられる。感度も良好!0.25mmの精度は十分。驚いたのは加圧式でなく電磁誘導式でペンが浮いていてもポインタは動く(当たり前かああああ!)。従って、パッドを大きなマウスパッド代わりにして使用することも可能。最大の懸念、ドライバも付属のものでとりあえず問題なく動作した。 お絵かきソフトで「くるくる」と円を描いてみた。うーん、満足! とりあえず、今日はここまでにしておこう。 パラサイト・シングル 家事その他の面倒を両親がみてくれ、お金はかからず、家では子供で外ではお金持ちの社会人として振る舞う。こんな居心地の良い生活から脱し切れず、いつまでもズルズルと独身のままの生活を続けてしまっている人が以外と多いとのことだ。ざっと1000万人、人口の10人に1人はその様な存在であるらしい。少子化やその他の社会問題に少なからず影を落としているとの御指摘。。。 高校生の時分には「早く家を出て、独り暮らしをしてみたい!」と胸を時めかせていたものだが、不況の御時世ということもあり、現実には合理的で一度味わうと抜け出せないパラサイト・シングルに落ち着いている人が多いことが分かった。このことがそんなに問題であったとはちょっと驚きではある。 以下、山田先生の文章を引用する。 『Voice』1999年8月号 「パラサイト・シングルの時代 」 山田 昌弘(東京学芸大学助教授) 日本の若者の特徴は何かと問われれば、私は「パラサイト・シングル」と答えることにしている。20歳から34歳までの未婚者のうち男性が60%、女性が80%、親と同居している。このような親がかり未婚者は住居費はいらない、食費も材料費程度、家事は母親まかせ。月平均小遣いは20代で男性7万円、女性8万円。ブランドものでも車でも気に入ったものが買えるに違いない。もし結婚していれば住居や家電など耐久消費財を買わなければならないから、パラサイト・シングルが不況を下支えし、少子高齢化による社会不安を招き、社会変革のエネルギーを削いでいる。この状況を変えるには、若者の自立化支援政策をとること、親が成人した子を放り出す状況をつくりだすことである。 武双山、優勝! 私生活はどうあれ、私は基本的に横綱「貴乃花」を応援している。何日目であったか、この貴乃花と武双山の対決が今場所を象徴していた一番であったと思っている。復調著しい貴乃花を、立ち会いから強烈な左のおっつけ、そして一気に押し倒してしまったから舌を巻いた。 今日も魁皇との対称、関脇同士の明暗がくっきりと見られ興味深かった。 皆頑張って欲しいが若手の台頭が著しい昨今、武双山の優勝を期に魁皇・栃東・琴ノ若ら中堅の活躍を期待する。 ジャンヌ・ダルク 内容は史実の通りであるが、私の聞いた所によると彼女については詳細な記録は残っておらず一解釈が描かれている、とのことであった。 私の感想は、彼女は一種の精神病の状態で、何かに取り憑かれているような状態だった。資質と幼児体験と需要と供給が上手く一致した形で、カリスマと奇跡につながったような気がする。そして自己の葛藤が進むにつれて「神憑かり」と「人間味」が見隠れしてくる所が面白いと思う(上手く言えない)。「正論・一途」と「異端・協調性の欠如」が紙一重で、奇跡と悲劇が一気に駆け抜けて行った。 新年会 さて、四面楚歌の状況を仕事の面では脱した私であったが、ここで倒れたら元の木阿弥である。しかし、この場は私に優しかった(涙)。楽しい語らいの場は、この上ないリラックスと安息を私に与え、疲れも吹き飛ぶ思いだった。またお酒は皆適量であり、私の暴走を抑制するに十分であった。 皆の状況を聞き、私の知らない間に各々色々あったんだなあ、と感嘆しつつ24時30分のバスに乗り込み、鳥取を跡にした。 強行 「泳いで徹夜」は経験が無く、自爆の可能性が非常に高く避けたかったが、今回ばかりは仕方が無い。しかも好都合なことに夜半から大雪となり、家には帰りにくい状況が出来上がった。万事状況は整い、計画を遂行した。 週末までに完了予定である「改造したモジュールの基本動作」の為のデバッグ作業。ハマリかけていたが、金曜日の朝方5時にやっと障害の原因を突き止め、肩の荷が降りた。後はこの金曜日を意識不明にならない様に過ごすことである。午後一の進捗ミーティングが最難関であったが、何とか突破し、定期リリースの為の最終チェックも気合いで押し切った。 そして時は21日20時。新年会で飲んだら、私はどうなってしまうのだろう。(続く) 新しいPC Pen3の500MHzは、うーん幸せ (T-T)/ 。お古のPCからHDDとCD-ROMを引っ張がして、あとはおにゅうの部品とガチャガチャと(教えてもらいながら)組み立て、プラモデルのように完成した。 何がストレスかって、某MSのワード文書のスクロール。重たい文書は233MHzでも、うきーー。ああ、でもこれで少しは楽になる。嬉しい。 PCが速くなった分、仕事がはかどるかな。はかどらずに量だけ増えるかな。はたまた、私のCPU(おつむ)がついて行けないかな。。。 休息 例によって酔っぱらいだったので、コロコロっとお布団に転がり込むと、スコッと眠りの世界へ旅立つことが出来た。すごくゆっくり休んだような気がした。 しかし目が覚めてしまって、また変な時間にちょこちょことやっている始末である。いいんだか悪いんだか、とにかく日付が変わって今日からは、たまってしまった仕事を片付けていかなければならない。ふう。 お通夜 母方の実家は浄土真宗である。父方の曹洞宗になじみが深いので、儀式の違いが興味深かった。中国で特に鳥取・岡山は浄土真宗が少なく珍しいようである。和尚様にいろいろ説教をして頂き、ためになった。 ひとしきり儀式が済んだら、盛大な宴会となった。ばあちゃんは子5人・孫12人・ひ孫11人を持つ凄い人である。このほとんどが集結したら大変な盛り上がりであった。大往生であったせいか、まだ生きているような感じなのか、気を張っているのか、悲しみを出す人はおらず皆久方ぶりの再会について話が尽きなかった。このようなことも無ければ決してこのように集まることも無い訳で、ばあちゃんの求心力さまさまと言っても過言では無い。 しかし残念なことに私は母方の親戚との付き合いが疎く、鳥取に居ない面々は誰も知らないに等しい状態であった。私が幼少の頃に遊びに行かせて頂き、さんざん暴れん坊をした様子を語られ赤面モードが続いた。無論、自身の記憶は全く無い。そのような時期からの御無沙汰なのであった。 お酒で赤面してきた。若い衆には次々と注がれて、皆「ざる」か「わく」であるので豪快に干されていった。 しかし髪を短く刈り込んだせいもあり、今回は「イチロー」に似ているとのご指摘であった。歳は私の一つ下だったであろうが、稼ぎは私が100分の1だね、というネタで頭を掻いていた次第である(笑)。 酔いを醒まして、明日の葬儀に備えよう。 ばあちゃん、大往生 鳥取に戻り、数回しか会いに行かなかったのは後悔なのだが、私の事を覚えている内に会えただけでも良かったと思っている。冥福を祈りたい。 脳梗塞は最悪だ。意識が無くなってしまうと、もうどう仕様も無い。 私ごときが申すのも憚られるが、出来ることなら言い残したいことや何やらを思いつつ最期に及びたい気がする。突然頭に衝撃が走り、そのまま植物状態で過ごすのはどうにか免れたい。脳の血管にやさしい生活を心掛けたい。 星までの距離の測り方 この場を借りて、引っ張ってきたもので勉強しましょう。(_ _) (出典:http://www.ias.tokushima-u.ac.jp/physics/nucl/fushimi/buturi.html)
宇宙における距離の測り方 ささやかな?打ち上げ会 しかし、上司二人と私の3人という、ちと淋しい打ち上げであった。 会社から歩いていける二件目の焼肉屋さんが最近出来て、そこへ行ってたらふく喰って飲んだ。この上なく幸せな気分であった。「一応」一段落がついたので、それでも少しやったような気がして、達成感のようなもので目頭が・・・(まだ三合目での休憩のような気もするけれど)。 仕事以外の話も出来る良い機会であったので、腹蔵なく色々と話してスッキリさせてもらった。若造の言い分を聞いてくれる上司が居て私は幸せ者である。 さて、持ち上げるのもこの辺にして(笑)、お腹一杯の後は会社へ舞い戻った。あまりにも淋しいので、二次会へ面々を誘いに戻ったのだった。「ういー。」と言っても案の定、職場は「職場」のままで私達を受け入れる体勢はある筈もなかった。今日くらい家庭に戻ってゆっくりと休みたい、との雰囲気も当然であろう。気が付けば我々だけがクダを巻いているだけで誰も居なくなろうとしていた。最後の新人二人を何とか引き止め、ファミレスへと向かった。 トマオニでパフェなどをつつきつつ、日常の話で盛り上がった。私に限っては、日頃テレビと映画(ビデオ)をほとんど見ないので、その辺りの話は「ふむふむ」と聞き入るばかりであった。トマオニは確か2時までということで、場所を移した。あー、本当ならこの時間まで仕事をしているんだよな、としみじみと車窓を眺めていると、会社のビルに電気が。さて、つぎつぎ。 しかし、この時間になると開いているお店もない。私も知る由もない身分であった。ということでG会(G会議室:ガスト)でドリンクバーへのレールを一直線。 ・・悟りが開けてきた。私は「宇宙が無限なら夜空は明るい」というオルバースのパラドックスに熱弁を振るってしまった。しかし朦朧としていたので、筋を通すことが出来ずに頓挫モードとなってしまった。「有限であるから夜空は暗い」と仮定したのがケプラーで、これに対して「吸収物質があるから無限でも説明が付く」というのがオルバースの解決である。しかし光の届く範囲は所詮有限範囲(宇宙の地平線以内)であるので、結局オルバースのパラドックスは生じない。ここまでは言わなければならなかったのだが、細かく覚えていよう筈もなかった(出典:松田卓也 他著 ビッグバンからブラックホールへ)。 明けの明星も輝き、7時30分?・・ああ、朝なのね。 ・・帰って寝て起きたら横綱が相撲をとっていた。 (無題) 「成せば成るのか!?」〜無理と諦めの考察〜 仕事と水泳の両方をやる日は「無理をするな!」という意の言葉が必ず両親から降ってくる。本当にそうなのだろうか?物理的に体力は消耗するし、結果翌日の仕事に差し障りの出るリスクは多少あるのは事実である。しかし、現実離れした無理な話という訳でも無い。私にとって本当に無理なことなのだろうか? やらなかったら一生やらない。当たり前のことだが、これがいつしか「出来ない」という言葉に置き換わりそうである。やらないのではなく、出来ないと思うようになるのだと思う。やらないのと出来ないのとでは全く性質が異なる。出来るけれどやらないだけなのか、出来ないから「もしやる気があっても」やらないのか、では話が違う。事毎について、私はこの二つを明確にして進めて行きたい気がする。 「成せば成る」とは、ある時は勇気づけられる言葉だが、一面無責任な言い様にもとれる。昔、「やったら出来た」という事を一つでも多くしたいと目標にした時期があったが、これはやってみて出来なくてもその経験自体が貴重で、出来ないということも体験できれば良いという範囲の話であった。しかし「成せば成る」は、努力すれば必ず出来ると言い切る。自分にそれを言い聞かせてスタートを切ることが出来るだろうか。 やらなければ後悔する、今この事にかけてみたいと思う時に完遂に向かって突き進む。それはそれで良い。しかし成るかどうか、そんなことは未来の事で分からない。事を始めた時点で、そのことは「無理」なのか「成功への一歩」なのか知る由もない。つまりその過程はその時点で、無理な事でも成功への花道でも何でもない事を意味する。唯信ずる者のみ「成せば成る」王道を進んでいる気になるのみである。 従って、信念で進める時「無理」の概念は無い。それは第三者の言い分か「諦め」が出る時である。無理だから諦めるのではない。諦めの気持ちが出て来た時、その事は無理な事へと変貌するような気がする。 結果論的にはこの話は通用しない。矢張り無理だった、ということは客観的にあり得る事実である。しかし、それは本当に「成らなかった」のであろうか。そこに、もし無理も諦めも無かったとしたならば。 (後日校正。) (無題) 体力温存で(というか暇も無く)泳ぎには行けなかった。 とにかく寝よう。 昼夜逆転 12時間程度爆睡して起きてみたら夜だった。これは建て直しが厳しいぞ。 仕様が無いので、とりあえず静かな会社へ行き朝方まで仕事を進めて帰ってきて、御飯を食べて日記を書いている。今11日の6:30。一応完徹してしまい、この後すぐ会社へ行ってしまって早起きしたことにしてしまおう。何とかなるだろう。 学生の頃、「8:00。。早く起きたー!」と思って外を見たら真っ暗で、滅茶苦茶びっくりしたのを思い出す。ほんとによく寝てたなあ。6年のうち、3年は寝ていたに違い無い。(泣) 大河ドラマ「葵〜徳川三代〜」 私は日本史に疎いが、ドラマにより描かれ方というか説というか違いがあり、その時々視点を変えて楽しむことができると思う。また、どの俳優が誰の役を演じるのかも非常に興味深い。演じる人により、人物像が全く違ったものになるからである。NHKは花形俳優を惜し気も無く適材適所に列ねるので面白い。今回特に、小早川秀秋に鈴木一真が抜擢されたのが個人的に嬉しかった。 第一回の「総括関ヶ原」は、すごい人数で繰り広げられ圧巻であった。小早川秀秋の寝返りと、島津豊久の猛攻が対称的で印象に残った。しかし歩兵時代の宮本武蔵を出すのであれば、家康にあと一歩まで迫った真田幸村を出して欲しかった。 今週の睡眠時間 10時起床、26時前に帰宅してHP作成などに27時〜29時、その5時から10時までの5時間睡眠で5日間をまわしてみた。その結果、
1. 良かった点
ということで、総じて良いことでは無い、との結論に達した。 HPの絵 ネコが好きなのでネコの絵にする訳だが、何とも上手くいかないな。下手絵が逆に「味」を出している、と言ってしまえば終わりだが。GIFアニメには、まだまだ遠い。 何故今、千葉すずなのか 二度の五輪出場後現役を引退し、2年のブランクを経て昨年奇跡の復活を遂げたのは周知の通りだが、皆が美談として取り上げがちなところで、その番組では実の素顔に出来るだけ迫ろうとする感じであった。「五輪を楽しみたい。」から「そりゃメダルは欲しい。」そして「とにかく発揮出来ること、納得出来ること。」と、彼女の言葉をかいつまんで並べると変遷が伺える。場によって発する形に違いがあるにせよ、その時々の想いは分かる。精神面が弱く、大きな大会で実力を発揮出来ない自分に初めて正面から向き合い、再チャレンジに取り組む最近の様子は、私に大きな説得力があった。今何の為に何をしなければならないかが非常に明確で、その場にたった時、「自分自身の」目標達成の為、その発揮の行動に一点集中する、そのことが大切だと強調していた。 結局、次元とかレベルの違いこそあれ、彼女は天才でもなんでも無く、身近な努力屋さんのように感じる。つまり、土俵は違うけれど私達が日々何かに頑張っている様子と何等違いが無いからである。私も納得出来る「何か」を成したいし、目的意識を明確に持って取り組みたい(生きたい)。また、まさに直面した場面で最大限のものを発揮出来るだけの用意を心掛けているのか、チャンスを逃さず掴む為の何かをしているのか、自分自身の問題に背を向けていないのか等々、全て逆に問われているような錯覚にさえ陥る。 正直な想いの変遷を見せ身体を張って問いかけてくる彼女に、今私はどう答えるだろうか。 仕事始め さて、今日は3月上旬並みの気温ということで、異常気象ながら過ごしやすく感謝。 ・・今日は新聞に目を通す余裕も無く、無感の日になってしまった。 あ、欣司さん、北海道に居るようでちょっとびっくり。 水泳ニュースのアップにかかるか。 休暇最終日 Macの調子が今一つなので、HDDをフォーマットしてシステムのインストース作業を開始した。予備のHDDなので、これは今週中にでも少しずつやって行く都合である。 明日から快適に仕事を始められるように、会社へウォーミングアップをしに行った。雑用をちょこちょこと片付けようと気軽に出向いたのだが、休日出勤の先輩から重大な障害の報告を受けて対応。私の埋め込んだバグであったので、出向いて良かったと不幸中の幸いに安堵した。 初泳ぎは、水泳の方で述べるので割愛したいが、多忙の年末に泳がなかっただけのことはあった。 同窓会2 お昼ご飯を頂きつつ近況報告に興じ、夕刻に帰宅した。 流石に、少々お疲れ。 ネットにつなぐも、すぐ寝てしまった。 同窓会 久方振りに砂丘へ行こう、ということで出向いた。幸い晴天に恵まれて日本海の青さは際立っていた。強風で顔に砂が当たるのを我慢しつつ、矢張り「砂丘ジャンプ」に興じる。これは砂丘の山(標高数十m)の頂上から切り立つ斜面へ助走をつけて身を投げ出すもので、斜角が60度はあるから、かなりのスリルをもって楽しむとことが出来る。砂の上に降りるので、前のめりにならなければ怪我はしない。しかし、観光客でやっている人は居ないなあ、やっぱり。 さて、これで一日の仕事が終わったような疲労感を抱えつつ、晩餐の為の買い出しへと走った。 乾杯後、メニューは蟹鍋の後キムチ鍋、という暴食に走ることとなる。何故かこの時期、蟹が各家庭に余っていることが原因の一つ。今回はこの集まった量が半端ではなかった。結局、19時頃から日付が変わる位まではひたすら食べていたような感じだった。 盃を傾けつつ、空が白むまで近況報告とそれに関する議論に花が咲いた。 意識が戻ったのは翌午前10時であった。 次回はお盆、徳島へ繰り出したい!との方向で話がまとまった。 未来新聞 はっきり言って私は「形」から入る人間なので、ホームページの更新も中身から取り掛からずに、フォーマットや見栄えを整える作業が終わらないと気が済まない。例えれば、机の上をきちんと整頓しなければ勉強に取り掛かれない学生の様である。・・ということであーだこーだやっている内に日記など後回しになって本末転倒甚だしい今日この頃であった。 さて今日「面白い!」と思ったのは、毎日新聞の「未来新聞」である。毎年元旦に恒例で、近未来に起きそうなことを新聞にしたものあるが、形式は通常の新聞、記者が内容をユーモラスに書き綴った逸品であった。内容には以下の通り(抜粋)。
2050年1月1日土曜日
見出しだけでは面白さも何も伝わらないのが残念だが、暗に現在の種々の体制を痛烈に批判する記事、近未来に明るい希望を抱いている記事がジョークも交えて記されており秀逸なのである。 |